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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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江東亀戸天祖神社例大祭 平成25年09月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神: 天照大御神 台座:二尺八寸(85) 建造年度:昭和24年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 大振りの延軒屋根 銅を絞り込んだ勾欄造り H25年は式年遷宮完成記念として渡御 |
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台風接近での霧もやで霞む東京スカイツリーを遠望する十間橋を威勢よく渡御してくる |
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江東亀戸天祖神社
'13.09.15.(日曜) 宮出し8:30〜宮入17:00
3年毎の本社神輿渡御は 「神幸祭」
5年毎の町会連合渡御は 「神明祭り」次回H29年 江東区亀戸3-38-35 |
亀戸天祖POP |
昭和4年建造防災建築の社殿 |
八方睨の雄大獅子頭 |
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天祖神社は応永2年(1395)に僧良傳が、龍眼寺と共に創建したと伝えられ、
古くは柳島総鎮守神明宮と称されていました。また、天正年間(1573?)悪病が大流行したとき、
織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ、
たちまち収まったので、以来病気を治す神社として有名に。
現在でも毎年9月16日の祭事として、子どもによる歩射(びしゃ=徒歩(かち)で弓を射る)が行われています。 |
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本社神輿と日本一と言われるほどの雌雄の大獅子頭の担ぎ出しによる神幸祭では、
祭礼行列を守護する役割を果たすが、最近は大獅子頭の傷み激しく担がれない。
また渡御では、町の区切りで次町に引き渡される、氏子による威勢のよい「担ぎ渡し」は必見です。
渡御路は宮出し〜鳥長前交差〜錦糸橋上〜立志会前交差点〜賛育会病院〜
プリメール柳島〜押上浅草通り〜十間橋交差点〜柳島橋〜横十間川通り〜亀戸3神社入口から北進〜参道宮入。
5年に1度の神明祭りは、町会15基の連合渡御 巡行 8:30〜12:00。 |
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眼光鋭い雌大獅子頭 |
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浅草通り十間橋交差点から担ぎ渡し場所を目指す |
俄かに曇り背後に霞む東京スカイツリーと宮神輿 |
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担ぎ渡し場所の柳島橋上に威勢よく入り込んでくる業平四・五町会 |
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業平四・五が担ぎ渡し場所の柳島橋上へ |
ところてんで前棒より引受けの宮元が入り込んでくる |
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神幸祭最後の柳島橋上での宮元への担ぎ渡しはトラブルも無くスムーズに行われた |
担ぎ渡し: お江戸の神輿の渡御では、町会渡しの祭礼は多いが、馬を使わずに神輿を引き渡すことは殆ど見られません。
編集者が取材した神輿では、9月例大祭の亀有香取神社が担ぎ渡しです。 |
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見事に引受けの担ぎ手は宮元半纏の一色になり方向変えて横十間川通りへと入り込む |
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横十間川: 別名は天神川や釜屋堀、横十間堀、横十間堀川ともよばれる。
北十間川から南に流れるが、江戸城に対して横に流れ川幅が十間(18m)あったことからの名称。
別名の天神川は、亀戸天神の横を流れることに由来する。
万治二年(1659)に徳山重政・山崎重政両名(翌年本所奉行に任命)によって開削された人工の川。 |
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神社入り口の十字路で気合入れて差し上げで渡御宮入のご挨拶 |
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宮神輿が参道鳥居下へと入り込む |
参道鳥居下での激しい神輿揉み |
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鳥居潜り参道で激しい神輿揉み繰り返し社殿前へと行きつ戻りつの宮入 |
江東亀戸天祖神社は亀戸天神社の北約500mほどの住宅地の中に鎮座する。
境内は驚くほど高樹木が多い。すぐ北には北十間川が流れている。 |
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亀戸地名の由来: 昔は小さな島で、島の形が亀ににていることから初め亀島または亀津島と呼ばれた。
現在、亀戸周辺には北に向島・牛島・南に大島、西に柳島など島にちなんだ地名が多く、
その昔、葦の海辺が次第に堆積して島となり、村落を形成して漁村となり、
さらにはこれらの島々も四辺陸続きとなった。 |
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