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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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熱田神社 遷座370年祭 平成26年5月 (不定期) |
神輿データ: 祭神: 日本武尊 台座:三尺(91) 建造年度:昭和初期 製作者:行徳・後藤直光
特記: 延軒屋根・勾欄造り 定めた大祭での近年は渡御なし 代役で吉野町会神輿がH24年に担がれ今回は宮神輿渡御 |
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強い朝日を浴びながら二十年振りに宮神輿の熱田宮が鳥居を潜り宮出し渡御をする |
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熱田神社大祭 14.06.01.(日曜) 宮出し9時半〜宮入16時半
二十年振りに渡御する本社の「熱田宮」は 数百万円をかけ補修工事を行ったとか。
氏子地区は吉野町の一町一社で
近年の大祭では宮神輿は渡御せず、吉野町会神輿が宮神輿の代役を勤め出御していた。 東京都台東区今戸2-13-6 |
雲紋の簡素なPOP |
久方ぶりに渡御する熱田宮神輿と見守る社殿 |
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熱田神社は永禄年間(1558〜1569)に山谷村(山谷堀)百姓一同が鳥越近郷の鎮守と奉斎して創建、
浅草鳥越神社の末社として祀られていたが
正保2年(1645)社地が御用地となり住民と共に当地附近へ遷座したといいます。
この吉野町は一町一社でありながら、本社神輿「熱田宮」と町内神輿「吉野町」があり、
「熱田宮」は行徳の神輿師後藤直光の昭和初期の建造、
「吉野町」は地元の神輿師南部屋五郎右衛門の昭和32年の建造で、どちらも立派な神輿です。
吉野町会は今年で創立100周年なのです。 |
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20年振りに社殿前で差し上げて渡御のご挨拶 |
熱田宮を担ぐ喜びで神輿揉み繰り返し鳥居へ前進 |
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社旗が先頭で宮神輿を先導する簡素な祭礼行列 |
神職に続き祭り囃子を賑やかに奏でる吉野囃子 |
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胴に晒を巻いた宮神輿が吉野氏子地区の隅々を渡御して宮入は夕刻までの長い担ぎの一日が始まる |
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熱田神社前通りを威勢よく北進 |
北進から東浅草交番通りで方向転換 |
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八雲(雲紋)の屋根紋を輝かせて熱田宮の宮神輿が浅草高校前へと南進してくる |
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雲紋(八雲): 天空を象徴する雲の紋様より転用された。
雲紋は寺院の寺紋として用いられ、正倉院の鏡の文様にみられる。
熱田神社の神紋は祭神の日本武尊に由来するとか。 |
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熱田神社南側の路地中を渡御 |
都立浅草高校北側の路地を渡御 |
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都道464号線(吉野通り)の浅草神社との境界線の吉野橋で休息の木が入る |
吉野橋: 山谷堀(さんやぼり)は、
江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られた堀。
現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備されている。
今戸橋・聖天橋・吉野橋・正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋・日本堤橋の九つの橋があった。
橋台のみが昔の面影を残している。 |
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陰陽丸は幕末の刀工の川井久幸が、実戦用の刀でなく神社仏閣への奉納用として制作された。 |
代役を勤める吉野町会神輿台座二尺六寸(80cm) |
弘化4年(1847) 全長368cm刀身280cmの社宝の大太刀の陰陽丸 |
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吉野町会神輿: 台座二尺六寸(80cm) 昭和32年建造。4年毎の巡行は13時〜16時。 |
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登録サイト フリ-ソフトで作成のHP。 |
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