歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 西の中川と東の江戸川に挟まれた平地で長閑かな葛飾水元の真夏の農村集落の猛暑の中での夏祭り
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    東水元 日枝神社 平成26年8月 (2年毎)

神輿データ: 祭神: 大山咋神 台座 3尺5寸(106) 建造年度: 不明 制作者:不明
特記: 延軒屋根 簡素な平屋台造り 屋根一巴紋 胴に晒を巻いて渡御する宮神輿 近年は2年毎の渡御。
 

東水元4丁目住宅地を渡御。'14.08.03.
猛暑日の祭礼で小休止後体力復活したのか威勢良い掛け声で東水元4丁目の農村集落を渡御

高台に建つ本殿。'14.08.03. 鎮座する宮神輿。'14.08.03. 日枝の16菊紋。'14.08.03.
江戸川氾濫対策のかさ上げ社殿 渡御を待つ宮神輿と子供神輿 誉れの16菊紋に日(日枝)

例大祭 '14.08.03.(日曜)  宮出し 13時半〜 宮入19時半  H22年から2年毎。
 葛飾区東水元4-15-3 JR金町南口から戸ヶ崎操車場行きバスで水元小学校で下車
東水元日枝神社は寛文3年(1663)の創立、 旧上小合村の鎮守で、かつては山王神社として緑の相談所脇に鎮座していたが、 昭和53年(1978)の水元公園造成に伴い、現在地に遷座して旧山王神社を日枝神社と改称する。 正面入口鳥居は独特の山王鳥居。
 

境内からそのまま山王鳥居下へ。'14.08.03. 神社前通りへと宮出し。'14.08.03.
境内から山王鳥居下へと宮出し 山王鳥居下から神社前通りへと宮出し

神社下から子供神輿と連合渡御。'14.08.03.
宮出し後の神社通りを余裕の担ぎの渡御 子供神輿も元気よく付いてくる

真夏の神輿を氏子家族一同が出迎える。'14.08.03.
農村集落の氏子衆宅が門の前まで宮神輿を出迎えられ気合入れて威勢よく渡御です

慶長八年(1603)江戸に幕府が開かれると、江戸とその周辺地区の開墾が急速に進みました。 小合(こあい)などの新田村が成立したのは此のころです。
現在の北部水元周辺は主に畑などが散在する農地と、閑静な住宅地域となっている。
水元農村集落の特徴は間口や奥行きが広い敷地で、宅地化された周辺の分譲住宅地は間口奥行き共にコンパクト。
  農村集落の特徴の樹木の垣根。'14.08.03.
ゆったりした敷地には庭木や垣根が丁寧に手が加えられている

休息の木。'14.08.03. 日陰求めて樹木の下へ。'14.08.03.
初めての休息所で担ぎ手に拍子木が鳴る 木陰を求めて水分補給で一時の休息

鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。 その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、 ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着した。
江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透して、 この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まった。
 

路地中をを笛と手拍子に鼓舞され。'14.08.03.
休息後のパワーで農村の路地中の東水元4丁目を笛と手拍子に鼓舞され威勢よく渡御

バテ気味だ、目の前がローソン休息所だ!。'14.08.03.
台座三尺五寸の美形神輿が次ぎの休息所は近いぞと村落のメイン通りのバス通りに出てきた

水元(みずもと)の由来 : 享保十四年(1730)紀州藩出身の治水家「井沢弥惣兵衛為永」 が東葛西領54ヶ村の灌漑用水の水源地「小合溜井」 (こあいためい=現・都立水元公園)を開鑿して、 その通称を 「水元」といったことによる。
各村とも小合溜井の恩恵を受けており、一円に通じる名前なので各村とも異存がなく水元村は誕生した。 なお小合 (こあい)は、「コワエ」=「土地を切り割った水路」だとか。
 


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