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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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三囲(みめぐり)神社 大祭 平成26年9月 (5年毎) |
神輿データ: 祭神: 宇迦之御魂神 台座: 三尺三寸(100) 建造年度: 慶応2年 製作者: 不明
特記: 吹き返しの無い緑青の銅葺き延軒屋根に擬宝珠 平屋台造りの古神輿 渡御年以外の大祭には展示される |
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緑青色の三囲会半纏に身を包み延軒屋根に擬宝珠の江戸末期の美形の神輿が五年振り渡御 |
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'14.09.14.(日曜) 宮出し9:00〜 宮入18:00
三囲神社はかつては田中稲荷と呼ばれ、白狐が3回廻って消えたとの縁起から付いた。 墨田区向島2-5 |
かわら版 |
権現造の社殿は文久2年(1862)建造 |
越後屋奉納狛犬 |
三井邸より移築の三柱鳥居 |
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この神狐を奉納したのは、三井三店(呉服・両替・向店(むかいだな))のうちの向店です。
台座に「向店」との陰刻が克明に読み取ることができます。
元禄年間以降の三井家の隆盛とともに、三囲神社との関係が始まり、三井家各店がこぞって厚く信仰していました。
この神狐は安山岩製で、総高162CM、像は高さ75CM。左右の台座の裏面には「享和二壬戌年十二月吉日」と陰刻がある。 |
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鳥居前の広場で鎮座して出御式を待つ宮神輿 |
多くの氏子衆が集結し鳥居前で出御式が始まる |
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宮出しは三囲会半纏 (三井系企業グル−プがハヶ町の一つ)が差し上げで五年振り渡御出立のご挨拶 |
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神社前の見番通りで銅葺き延軒屋根に擬宝珠の宮神輿が悠然と担がれ言問橋通りを目指す |
隅田川左岸の墨堤通りと水戸街道(国道6号)に挟まれた見番通り。
三囲神社を過ぎて道の中ほどに置屋の見番所 (=向島墨堤組合)があるところから名がづいた。
花街向島は東京六花街の一つで現在でも芸者衆が活躍して伝統文化を継承している。 |
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宮出しの囃子は小梅町会 |
金棒と高張り提灯が大祭列を先導 |
引き継いだ二番手の向島遊神太鼓 |
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言問通り言問橋東の交差点を威勢のよい掛け声で宮神輿が横断してくる |
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東京スカイツリー観ながら渡御の言問通りから向島二・三町会のお神酒所路地へと入り込む |
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向島二・三丁目町会お神酒所前での路地での引受け式 |
掛け声響かせて細い路地中を一杯使い渡御 |
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お神酒所前での引受け式と同時に担ぎ出す向島二・三丁目町会印半纏の担ぎ |
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言問通りを挟んで北側の三囲神社と南側の牛嶋神社。
三囲神社の八町会は全町会が牛嶋神社48町会の中に含まれているのです。
三囲神社の町会は両社へのご奉仕が大変だとか。
向島一丁目、向島二丁目睦、向島二・三、向島三丁目、中之郷、小梅一丁目、小梅二丁目、
そして三囲会印半纏(三井系企業グループ)で八か町と称している。
亀戸天神と牛嶋神社の本所地区も氏子町会が重なる。 |
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見番通りで三囲神社と牛嶋神社の両社掲示 |
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向島の地名の由来: 近郊に隅田川御殿という徳川将軍の休憩所があり、
(当時は蛇行していた隅田川)その対岸となる北西の島部を「将軍の向島」と呼んだことに由来。
また隅田川東岸には「牛島」「柳島」「寺島」などといった地が点在しており、
西岸地域に住む庶民がこれらを「川向こうの島」という意味で単に「向島」と総称したとも考えられる。
なお「向島」の名前が正式な行政地名になったのは明治24年(1891)です。 |
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