|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
綾瀬稲荷神社 大祭 平成26年9月 (2年毎) |
祭神: 宇迦之御魂命 台座:三尺三寸(100) 建造年度: 明治初期 H26年(400年祭)大修理 製作者: 不明
特記: 緩い勾配の延軒屋根 四方桟唐戸 平屋台造り お神酒所で左右に神輿振りして渡御する 女神輿が先導する |
|
|
綾瀬6丁目お神酒所前で担ぎ手達の息合った神輿振り |
|
|
|
|
四百年祭かわら版 |
製作108年前の大幟 |
全国でも珍しい西に向いて建つ社殿 |
境内にある足立区の文化財の富士塚 |
綾瀬稲荷神社 大祭 (400年祭) '14.09.14.(日曜) 宮出し8時〜宮入18時。
江戸初期に69戸の村人たちが、五兵衛新田として開墾され各新田集約して綾瀬となる。
五兵衛新田の社は慶長十九年(1614)の創建で五兵衛神社と呼んで崇敬されてきた。
昭和40年住居表示が足立区綾瀬となり、綾瀬稲荷神社と称す。
足立区綾瀬4-9-9 |
|
|
|
弘道幼稚園前休息所からお囃子先導で渡御再開 |
引き太鼓と小神輿そして女神輿が宮神輿を先導する |
|
渡御再開だが急遽止め! の指示 全員勘違い! お神酒所到着時にのみ神輿振りのご披露 ここは休息所だ! |
綾瀬稲荷神社の渡御の特徴は、二天棒で担ぎ、途中で神輿を大きく左右に振り揉むことです。
宮出しと宮入、渡御中は到着したお神酒所での神輿振りのご披露なのです。 |
|
|
気を取り直し渡御再開を仕切りなおして威勢良い掛け声で次の休息所へ |
綾瀬は新田の集合地です。幟の五兵衛とは江戸初期の金子五兵衛のことで、
この地域の五兵衛新田を開発した人物です。旧神社の社名は五兵衛稲荷神社。
平成26年の「400年祭」に合わせて宮神輿の大修繕が行われ、
108年前に奉納された大幟を400年祭として境内に掲げる。 |
|
|
|
幼稚園通りから都営五反野アパート休息所目指す |
幼稚園通りから三叉路の都営五反野通りに入る |
|
都営五反野アパートと都立江北高校通りの休息所公園を目指す |
|
綾瀬川を渡り綾瀬6丁目お神酒所手前で担ぎから解放の喜びの笑顔なのか |
|
|
神輿振り体勢に入れ!で神輿を横向きに |
神輿指揮者の倒せの合図で左右に大きく |
|
綾瀬6丁目お神酒所前での神輿揉み 大変なのは台座持ち役で慣れるまでは地面に近づく恐怖心が |
|
お神酒所のご接待にお礼の差し上げご挨拶してから宮神輿渡御方向へ向けて駐機 |
綾瀬川:
江戸初期の綾瀬川中下流は低湿地で通行が困難であった。
また大雨が降るたびに川筋が変わり、一定しないことから「あやし川」と呼ばれ後の「綾瀬川」となる。
関東郡代であった伊奈忠次らによって堤が整備され、
寛永7年(1630)には流量を調整するために武蔵国足立郡内匠新田
(現・足立区南花畑の内匠橋付近)から葛飾郡小菅間に平行して新綾瀬川が開削された。
現在の綾瀬川はこの新しい流路を指すのです。 |
|
|
yahoo!japan
登録サイト フリ-ソフトで作成のHP。 |
|