|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
稲荷鬼王神社 大祭 平成26年9月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 宇賀之魂命 台座: 二尺(62) 建造年度: 昭和56年 製作者: 不明
特記: 唐破風軒屋根 勾欄造り 小振りな鬼面神輿を20時ごろ暗闇の中を若衆が迎え宮入 |
|
|
手拍子に鼓舞されて靖国通りを東新宿の交差点から東進して折り返してくる |
|
|
|
|
鬼王祭礼POP |
社殿前に鎮座する宮神輿 |
神輿庫に雌の獅子頭 |
雄の獅子頭も神輿庫 |
稲荷鬼王神社 '14.09.15.(祝日・敬老の日) 宮出し14:30〜宮入20:40
鬼面を着けた若衆に出迎えられる宮神輿の宮入は最大の見せ場で興奮の坩堝となる。
大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀して、
天保2年(1831)に稲荷鬼王神社と命名された。
全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め 「撫で守り」の授与で有名である。
が、神社の名前から誤解されやすいが「鬼」を祭神としているわけではない。 東京都新宿区歌舞伎町2-17-5 |
|
|
|
神事終えて境内の参道から宮出しのため担ぎ出し |
鳥居前での宮出しのため木頭が馬に乗る |
昭和初期に神社に隣に映画館『大久保館』があり、この地が新宿の映画文化の草分けの一つであった。
例大祭では毎回昭和時代の映画ポスターを展示する。
歌舞伎町は神社の所在地だが、氏子地域は二丁目のみです。一丁目は十二社熊野神社。
ただし一丁目1番のみ花園神社の氏子地域。
ややこしいがこれが伝統の歴史。 |
|
|
参道鳥居の幅が狭くて宮神輿は神社鳥居前路上からの宮出し |
祭礼提灯の「両社」との表記は稲荷神社と鬼王神社のことです。
稲荷鬼王神社は社殿扁額にも稲荷鬼王神社と記されているが正式名は稲荷神社であるが、通称は鬼王神社です。
鬼の王様を崇める唯一の宮なのですが、祭神ではない。 |
|
|
神社前通りから北上して靖国通り(都道302号線)を悠然と横断して大久保の細い路地中へ |
|
|
神田囃子奏でる底抜け山車が宮神輿を先導する |
大久保の細い路地中をギリギリ器用に渡御してくる |
|
大久保小学校前の細い路地を一杯使い勇ましい掛け声で渡御 |
|
広い明治通りに出てハンドマイクと手拍子に鼓舞されて東新宿交差点を目指す |
新宿七丁目の東新宿は都営地下鉄の大江戸線と東京メトロの副都心線が乗り入れ、
明治通りの東側は急速に開発進む高層ビジネス街です。
また靖国通り南側の西武新宿駅方面は歓楽街の不夜城の歌舞伎町です。 |
|
|
東新宿交差点から靖国通りに入りアインスタワーと大久保消防署前で折り返す |
|
神輿指揮者の指示にゆったりと方向転換して再び東新宿交差点を目指す |
「大久保」の地名の由来は、かつてはこの地に川が流れて相対的に周りより大きな低地(窪地)であったことから、大久保と呼ばれた。
江戸時代までは農村であった。明治時代にはつつじの景勝地として知られ、近郊から多くの人が訪れたという。
「歌舞伎町」、明治以降は鴨場(鴨を狩猟)となっていた。
昭和7年(1932)東京市淀橋区に編入され、市街化が進んだ。東京大空襲で一面焼け野原となったが
復興事業案として歌舞伎の演舞場を建設し芸能施設を集めて、これを中核として歌舞伎町と名付ける。 |
|
|
yahoo!japan
登録サイト フリ-ソフトで作成のHP。 |
|