歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 世田谷三宿で震災や戦火免れた縁起のよい神輿が二町会の地区をゆったりと渡御する三宿神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    三宿神社 例大祭 平成26年9月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 倉稲魂命 台座:二尺(61) 建造年度:大正12年 製作者:浅草・宮本重義
  特記: 延軒屋根 勾欄造りの小振りな神輿 氏子衆が待てぬと浅草へ引き取りに出向き関東大震災から免れる
 

拍子木と笛に鼓舞されて渡御。'14.09.23.
拍子木と笛に鼓舞されて三宿一丁目住宅街から威勢よく三栄商店街の休息所を目指す

三宿祭りPOP。'14.09.23. 三宿の細長い参道。'14.09.23. 拝殿と対峙する宮神輿。'14.09.23.   三宿(みしゅく)神社例大祭
'14.09.23.(定日・秋分の日)
宮出し12:00〜宮入17:30

烏山川緑道に面して三宿神社の入り口があり参道鳥居から上り坂となり神楽殿から急な石段で拝殿へと続く。
世田谷区三宿2-27-6
三宿神社POP 夜店がびっしり並ぶ細長い参道 高台の上の拝殿と対峙する宮神輿

三宿神社は、明治維新後の一村一社制度により、廃寺となった多聞寺の寺地に、創建したと伝えられます。 多聞寺の毘沙門堂を本殿に転用し、 祭神を毘沙門天(後に大物主神へ訂正)としたが、後に倉稲魂命を祭神とした。 (寺地に稲荷社があったためです)  

宮神輿を担ぎ降ろし。'14.09.23. 参道を掻き分け降りてくる。'14.09.23.
神事終えて急な石段を慎重に担ぎ出して神楽殿へ 混み合った夜店並ぶ参道のテントに注意して降りてくる

縁起のよい厄除けの神輿と謂われる。大正12年のお祭に納められるよう浅草の神輿店に注文していた神輿でしたが、 お祭まで待ちきれずにわざわざ浅草まで受け取りに行ったので、9月1日の関東大震災の難を逃れました。 また昭和20年5月の空襲でも神楽殿や社務所とともに焼失をまぬかれ、縁起のよいお神輿と言われている。  

曳き太鼓を驚くほど多くの子が曳く。'14.09.23.
三宿例大祭で宮神輿を先導する昭和7年建造の曳き太鼓に参加する子供や幼児の多さに圧倒される

氏子地域は三宿1丁目と2丁目と狭い区域です。 三宿神社は明治18年に創建された比較的新しい神社ですが、北側には北澤八幡神社、 西には駒留八幡、南には池尻稲荷と囲まれており、地域密着の団結する愛着なのか。 子達のお手伝いは15時半まで。  

参道脇からの宮出し。'14.09.23. 神社通りを太子堂方面へ。'14.09.23.
神社参道脇から手拍子に鼓舞されて宮出し 神社通りを引き太鼓に先導され和やかに渡御

神社通りの緩い坂道。'14.09.23.
閑静な住宅街の神社通りの緩い坂道を拍子木に鼓舞されて登り出す

揃いの半纏の背中には「三宿」 (みしゅく)。 襟には「美志久」と染めてある。
当て字なんでしょうが、「みしく」 と読んじゃいます。文字はちょっと女性的ですが。
 

一丁目住宅街から。'14.09.23. 三栄商店街。'14.09.23.
三宿一丁目住宅街から三栄商店街へ 三栄商店街のお神酒所前を練る

三栄商店街から渡御再開。'14.09.23.
小休止の三栄商店街から担ぎ手達が威勢よく渡御再開

世田谷学園通り。'14.09.23.
世田谷学園通りを和やかでゆったりした渡御で自然と頬笑みがこぼれ出る

地形的に池のような低地部があること、 水の宿る地ということで「水宿」とついたものから転じて「三宿」(みしゅく)となったものといわれる。
烏山川緑道はもと二級河川で、目黒川の支流のひとつ。1970年代以降、ほぼ全面的に暗渠化され緑道になった。 緑道は延長約7キロあり、千歳台から三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いています。 この緑道に沿って、豪徳寺、世田谷城址公園、松陰神社、太子堂円泉寺等、歴史にゆかりのある神社仏閣があります。
 

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