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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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木根川王子白髭神社 平成26年10月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神: 貞辰親王 (平安時代の清和天皇の皇子) 台座:三尺二寸(98) 建造年度: 明治時代 製作者: 不明
特記: 勾配浅い黒漆塗り延軒屋根 平屋台造りの古神輿で鳳凰は後付け 平成10年 貳年修復 数年渡御なし 13年ぶりに渡御 |
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明治の古神輿を久方ぶりに担ぐ喜びの応援団の担ぎ手達で埋まる地区センター前 |
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木根川王子白髭神社 '14.10.19.(日曜) 宮出し9:30〜宮入16:00
明治時代建造の宮神輿を平成2年に 後藤直光にで大修復工事実施している
今年13年ぶりの渡御です。
葛飾区東四つ木1-12-26 |
上木下川鎮守と表記 |
王子白髭神社 |
駒札は木根川を掲げる |
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木根川の地名は、本来は「きけがわ」と呼び、室町時代には「木毛河」と表記し、
このころに村落は上と下に分村し戦国期には「木毛川」となり、
その後に木下川 (きねがわ)と訛ったと言われ読ませていたが、
読みにくいため昭和7年に葛飾区となってから「本田木根川町」に改められた。 |
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拝殿前から鳥居潜り宮出しです |
細い参道をぎりぎり担ぐ宮出し |
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細長くて狭い参道を一杯使ってのさくら通りへと多くの担ぎ手達を連れての宮出し |
社伝によれば、清和天皇の第7皇子の貞辰親王(さだときしんのう)が東国遊行の途次、元慶元年 (938)この地で死去。
記録類は明治29年 (1896)の大洪水で流失して不詳だが、
親王を祀る社殿はもと上木下川村にあり、その地が荒川放水路の敷地となり、
大正8年(1919)に、浄光寺(別当=木下川薬師)とともに現在地に移った。 |
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柔らかい日差しの木漏れ日を浴びてさくら通りを威勢よい掛け声で渡御して来る |
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明治時代建造の神輿を平成10年に大修復 |
軒下や胴の彫金が見事な宮神輿です |
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路地中から広いコミュニティー通りに出て東四ッ木地区センター目指す |
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狭い路地中の東四ッ木3丁目アクアガーデン栄湯前きねがわ児童遊園で休息の木が入る |
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東四ッ木3丁目のきねがわ児童遊園前の細い路地からスーパーみかわやへと渡御開始です |
四ツ木の地名の由来: 、地域に大木が4本あったという説、源頼朝が地域を通過したのが四ツ過ぎだったという説、
西光寺の聖徳太子像が四本の木を組み合わせて作られたと由来する説、貴人の世継ぎが住んでいたという説、
古代の官道の通過点で交通の要所であり、四辻があったという説など様々あるが実際のところははっきりしない。 |
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