|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
蔵前神社 平成21年6月 (隔年) |
神輿データ: 祭神: 應神天皇 台座:二尺八寸(85) 建造年度:昭和30年
製作者:東向島・志布景彩
梅に鶯の蕨手 大鳥が異様に大きい 台座に十二支の木彫り |
|
|
美形の宮神輿を今年も担げたと担げる喜びを担ぎ手全員が表す |
|
|
|
簡素な御祭礼ポップ |
静かに佇む南参道の朱塗り鳥居 |
皆な渡御に付添い無人の社殿 |
|
|
蔵前神社。台東区蔵前3−14−11。
例大祭:09.06.07.(日曜) 宮出し10時、宮入17時。
御朱印社領200石であったが、創建39年後に類焼し、浅草三嶋町に遷されていましたが、
その後の延享元年、元地である藏前(八幡町)に還幸した。
神仏分離令が布告され明治6年郷社に列格する。
関東大震災および昭和20年3月戦災により社殿を焼失、26年3月、社号を「藏前神社」と改称する。
|
本社神輿朱引き |
|
|
本社神輿朱引きでは、氏子区域は春日通り東西370Mと江戸通りそして国際通りに囲まれた
蔵前2丁目の一部、3丁目、4丁目の一部です。
極めて狭小であり、従って、氏子世帯数もごく僅少であり、現在の会員数は崇敬者をも含め約130名程です。
平成11年に41年振りに宮神輿を修復のうえ渡御、以降隔年で渡御を実施している。 |
|
|
|
|
巳み 午うま 未ひつじ |
申さる (?蟹がいる) 酉とり 戌いぬ |
亥い 子ね 丑うし |
|
|
蔵前神社の宮神輿は台座二尺八寸と小振りですが、手の込んだ作りで見ごたえある神輿です。
「梅に鶯」を彫り込んだ蕨手と「天女の図」を配した吹返し、
そして台座には十二支を配した木彫りの極彩色を配している。
猿蟹合戦や太鼓に乗った鶏の諫鼓鶏(かんこどり)が組み込まれ、
編集者の独断ですが木工師の遊び心がみられます。 |
寅とら 卯う?どこに 辰たつ |
|
|
|
|
元蔵三若睦の蔵前3丁目町内渡御 |
江戸通りから春日通りへ宮入道中 |
|
|
|
若衆に負けぬと総代・役員の宮入 |
差し上げで帰還宮入の御挨拶 |
大鳥から社殿前の宮入に木が入る |
勧進相撲発祥の地蔵前神社。
江戸での勧進大相撲は回向院・深川八幡・蔵前八幡・芝神明で行われた。
現在の「縦番付」は宝暦7年10月(1757)、蔵前神社で開催された本場所から始められたものです。
天明2年(1782)蔵前神社2月場所7日目には、
63連勝の西大関・谷風梶之助(第四代横綱)が二段目・小野川喜三郎(第五代横綱)
(寛政元年1789年ともに横綱免許・
初代明石志賀之助から3代丸山権太左衛門までの横綱は横綱としての実体がない架空の横綱)
に敗れた一番は江戸中大騒ぎとなりました。 |
|
|
蔵前の由来。 元和6年(1620)幕府が鳥越村の隅田河畔に建設した浅草米蔵の西側一帯の俗称。
鳥越の岡を切り崩して埋め立てて作ったのが蔵地で現在の蔵前である。
火災でたびたび移転、分散していたものを一括して収納、蔵数は54棟〜94棟ともいわれ江戸の命の源がここにあった。
蔵の前に米問屋が集中して「御蔵前片町」ができ、いつしか「蔵前の札差」=商人(「○○様御用米」と書いた木札を米俵に差す)と呼ぶようになった。 |
|
|