歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 板橋宿の板橋双葉氷川神社の宮神輿は江戸弘化時代の黄金色の古神輿
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    板橋双葉氷川神社 平成21年9月 (3年毎)

神輿データ:祭神: 素盞男命 台座:三尺三寸(100) 建造年度:弘化年間 製作者:武蔵蕨宿・西山光運    特記: 江戸期では珍しい勾欄造りの錺神輿 桟唐戸や彫刻彫金が素晴らしい  

手拍子で鼓舞する担ぎ手たち。09.09.06.
担ぐ喜びを手拍子で表して渡御する板橋双葉氷川神社

社殿前に鎮座の宮神輿。09.09.06. 境内は一瞬静寂に包まれる。09.09.06.   板橋双葉
   氷川神社
'09.09.06.(日)
宮出し08:30〜
   16:00宮入
板橋区双葉町
   43−1
鎮座する宮神輿と社殿 祝詞奏上の声だけが響き渡る境内

氷川神社の創建は応永年間(1394〜1427) 板橋宿の本村に当たる「根村」から旧称は根村松山氷川大明神 。
中山道板橋宿 板橋区の地名発祥の地とされる板橋宿が開かれたのは、 江戸時代の初期、中山道の整備と伝馬制度が確立した慶長7年(1602年)頃のこととされています。 板橋宿は江戸からの第一の宿としてその名を知られました。宿場は上宿・中宿・平尾宿の三宿に分かれ、 全長1,700m。天保14年(1843年)の記録によると、家数573軒、人口2,448人とあります。 板橋には川越街道も通じていて、上板橋宿が設けられました。
 

宮出しは難関の門潜りから。09.09.06. 続いて石段降り。09.09.06. 屋台押し分けての宮出し。09.09.06.
下げろさげろ宮出しは門潜りから 石段をそろりと降りて参道へ 夜店のテントを掻き分け進む
 
細長い参道が南北に約150m続く両脇にびっしりと夜店がテントを張っている。 宮出しの邪魔をしないようにテント屋根を下ろしてはいるが、宮出しの障害である。 神社側の寺銭を考えれば、夜店の出店の店舗制限には痛し痒しである。

双葉町を渡御。09.09.06. 双葉町を西へと進む。09.09.06. 富士見町目指す。09.09.06.
お膝元の氏子双葉町渡御 石神井川と並走して西へ 富士見町へ北進です

環七横断して引き渡しお神酒所へ。09.09.06.
環七双葉町を横断して神輿引き渡し場所へと進む

昭和31年、合併町域の町名を板橋宿の本村に当たる「根村」とする予定だった。 板橋宿の本村に当たる「根村」の人々は宿場設置の際次男三男が召し出されて宿場経営を命じられ上宿 (今の本町の辺り)を形成したからプライドが高かかった。 しかし後から来た新住民たちは伝統を理解せず無責任にその場限りに、 耳障りのよい町名にするよう強く迫った。町名決まらず「双方仲良く、 ともに大きく育つように」との励ましを込めて現行名の双葉を決定した。  

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