二宮神社の創建は定かではないが、承平天慶の乱(931-947年)の折、俵藤太(藤原)秀郷がこの神社に戦勝の祈願をしているので、
少なくとも千年以上前からあったことになります。藤太は平将門を討ち果たし、社殿や玉垣を造営したと伝えられていて、
さらに建久年間(1191年〜)には、源頼朝が社領千石を寄進したとの伝承もあります。
多摩郡小河郷に鎮座することから小河大明神と称し、
武蔵総社六所宮(大國魂神社)の本殿の両側に祀られた武蔵国内著名の神、六所のうち、
第二席に位置づけられ二之宮に祀られることから二宮大明神とも称し、
それが現在の社名の元になっている。旧郷社。
東京都指定文化財に指定されている農村歌舞伎(あきる野座)また、境内に接して近郊の発掘物を展示している「二宮考古館」がある。 |
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