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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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西五反田氷川神社 平成23年 9月 (毎年) |
神輿データ:祭神:素盞鳴尊 台座:三尺八寸(116) 建造年度:昭和5年 製作者:行徳・後藤直光
特記:巴紋の周り龍を刻み込んだ延軒屋根 勾欄造り 六天棒で品川拍子担ぎと台車曳き回し |
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揃いの印半纏の氏子世話人による社殿前で境内狭しと神輿揉みと撥止めず差し上げ |
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西五反田氷川神社例大祭。 '11.09.11.(日曜)
発輿式6時半。 宮出し7:30〜 宮入18:00。 品川区西五反田 五丁目6-3。 |
簡素なPOP |
圧倒する重厚荘厳な社殿 |
氏子神輿世話人で宮出し準備 |
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氷川神社の御創立年代は、新編武蔵風土記に氷川社(境内五反一畝)
村の中央にあり、鎮座年代詳ならず 昔は年貢地なりしが元禄年中より社地免除ありの記載、
徳川時代以前の頃に桐ヶ谷村が開拓された時に鎮座されたものと思われる。
明治41年(1908)桐ケ谷村にあつた 諏訪神社 八幡神社 廣智神社 を氷川神社に合祀する。 |
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江戸末期の氷川神社氏子区域内(現日野中学校)に八幡神社の神輿として8月15日に神輿渡御が行われ、
明治41年氷川社に合祀されてから昭和5年(1930)まで、優雅で稲穂実るあぜ道を神輿囃子にあわせ、
秋祭りが行われた情緒点景を偲ぶ神輿として神輿庫で例大祭期間中展示される。 |
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保存されている江戸神輿 |
昭和5年建造の宮神輿 |
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ご披露品川拍子揉みに氏子参集 |
社殿下での押して引く神輿揉み |
品川拍子は控えめの氏子世話人 |
宮出し前の境内で七町会の氏子神輿世話人(菊紋半纏)の神輿揉みを観ようと、
集まった多くの観衆の中を品川拍子で揉む。氏子衆の誉れの担ぎです。 |
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品川拍子で揉みながら神楽殿へ |
激しい揉みで玉垣の大銀杏前へ |
社務所脇参道出入り口前 |
神輿の蕨手と担ぎ棒に繋ぐ力綱を取り付け、その上を飾紐がつく大神輿を、
同好会の担ぎ手達が激しい品川拍子で広い境内を狭しとばかりに縦横に揉む。
渡御路では品川拍子で神輿を大きく振る広い場所が無いのです。 |
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諫鼓鶏(かんこどり)の天下泰平 |
参道からの台車での宮出し |
町会引渡し場所まで台車曳き廻し |
境内で存分に品川拍子で激しい神輿揉みを終えて、やっと台車に乗って渡御の宮出しです。
担いで渡御と台車曳き廻しを繰り返しての渡御が夕刻まで続く。 |
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渡御の主役の同好会の担ぎ手による境内での激しい品川拍子の神輿揉み |
地名の由来:
江戸時代に「五たんだ」として出現した地名です。目黒川の谷がほぼ東西に流れ、その谷周辺の水田が一区画が5反(約5000u)あったために名づけられた。
五反田は大崎村の小字であり周辺でしか知られていない地名であったが、
明治44年(1911)に山手線の五反田駅が開業し、星一(衆議院議員・実業家)が大規模な製薬工場(星製薬)を建設したことで知られるようになった。 |
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