歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 武蔵一之宮の小野神社は歴史と伝統と伝承を背負って今年も祭事を行う
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    武蔵一之宮小野神社  平成21年 9月 (毎年)

神輿データ:祭神: 天ノ下春命 台座:三尺三寸(98) 建造年度:昭和8年 製作者:浅草・宮本重義
   特記: 木彫や錺が見事 昭和30年頃まで大国魂の暗闇祭りに担ぎ込んだ一之宮神輿です
 

隋神門を潜りぬけ氏子衆に担がれる宮神輿。09.09.13.
鬱蒼とした境内から隋神門を潜り鳥居からの宮出しは歴史と伝承の渡御です

小野神社のかわら版。09.09.13. 風格漂う小野神社の鳥居。09.09.13. 式典見守る鉄棒持った警護班。09.09.13.
武蔵一之宮小野神社POP 鬱蒼とした境内と西正面鳥居 鉄棒持つ警護班見守る中で式典

武蔵一之宮小野神社。
例大祭: 09.09.13.(日曜) 式典11時〜11:30。宮出し13時〜17時。
また4月第一日曜に境内末社祭りが執り行われる。神輿、山車、太鼓巡行する。
東京都多摩市一ノ宮1-18-8。 最寄り駅:京王線 聖蹟桜ヶ丘駅徒歩7分。
 

小野神社の起こりは古く八世紀中頃と言われ、初めて史料に現れたのは宝亀3年(772)の太政官符で「多磨郡?野社」と記載されている。 「延喜式神名帳」(平安時代)には多磨郡八座の一つに小野神社が記されている。 西に正面鳥居があり、隋神門がある。境内末社の稲荷神社のためのものか南に赤い鳥居と南門もある。 元応元年(1319)奉納との墨書銘のある木造随身倚像が都の文化財にもなっている市内で最も古く由緒ある神社。
一之宮の神輿は、中世以来大国魂神社の祭礼「くらやみ祭り」に多摩川を船で渡り参加しており、 道路事情が悪化する昭和30年代前半まで続いていました。 この神社が武蔵総社六宮の筆頭の一の宮だったことが、一ノ宮の地名の由来になっている。
 

拝殿で厳粛な式典始まる。09.09.13. 御霊移しのため宮司一人本殿に入る。09.09.13.   式典は11時に始まりあっという間に神事は11寺半で終える。 社殿や随身門、鳥居、賽銭箱、宮提灯や神輿まで全てが十六菊紋です。 境内末社が14社あり、その筆頭の伊勢神宮内宮の天照皇大神と伊勢神宮外宮の豊受大神によるもなのでしょうか。
静寂の拝殿は祝詞のみ響く 宮司のみが本殿に入り込む

神社の基本は朱色・緋色です。 これは破魔(悪しきもののお祓い)の意味でその色に塗られています。 神社の建物や巫女さんの袴にも同様の意味あいから、それらの色・橙色などが使用されています。 朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられています。 稲荷大神の力の豊穣を表す色ともされています。 但し、お稲荷さんだけが朱塗りではなく、朱塗りの神社は他にも多くありますので、その他の理由としては、 朱色の原材料は水銀=丹であり昔から木材の防腐剤として使われてきたこともあるのではないか?と言われています。  

まづ大太鼓が鳥居潜る。09.09.13. 青竹の聖域から担ぎ出される。09.09.13. 慎重に隋神門を潜る。09.09.13.
大太鼓が鳥居から宮出し 聖域の斎竹から神輿が境内へ そろりと隋神門を潜り宮出し

やっと出てきました太陽の下へ。09.09.13. 境内脇を悠然と渡御。09.09.13. 狭い路地を大太鼓が先導。09.09.13.
太陽を背後に鳥居前から渡御 境内脇を悠然と渡御 大太鼓が神輿を先導する

ちょっと珍しい樽酒の鏡割りで乾杯して、聖域の斎竹から境内に神輿が担ぎだされる。 大太鼓が先導して、山車のお囃子に送られての宮出しです。 多摩地区で一番大きい大太鼓は福島県田村郡三春町で昭和56年の建造です。 不思議なことに広々とした境内や参道、神社周辺には屋台が一切出店していない。 小野神社協力会(氏子衆のご婦人方でしょう) の屋台の焼き鳥や焼きそばと缶ビールセット@500に昼時でもあり観衆は行列です。  

小野神社の南参道付近は、「鳥居戸」あるいは「鳥居道」という地名であったといわれ、 現在ある2本の大欅は神社の神木で、以前はこの付近に一の鳥居があったと伝えられている。
また昭和30年代まで府中の大国魂神社の祭礼 「くらやみ祭り」 に中世以来、 一之宮の神輿が参加していたことを後世に伝えるべく祭りのモニュメントを設置。
そしてこのあたりから北の方向に多摩川の一ノ宮渡しがあったといわれ、渡しの碑を平成11年に建造したのです。
  小野神社南参道近くの祭りモニュメントと一ノ宮渡し記念碑。

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