歴史の舞台にたった愛宕神社
万延元年、3月3日。時の大老、井伊直弼を水戸浪士が討った桜田門外の変は有名ですが、その水戸浪士が集結したのはこの愛宕神社。
浪士たちは神社内の絵馬堂(現存せず)に集結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門に向かったのです。
家康公が建てられた愛宕神社に祈願したわけですから、浪士たちにとって井伊大老を討つということは、
幕府のためだという確固たる信念があったのでしょう。
勝海舟と西郷隆盛による江戸城の無血開城に大きな役割を果たしていたのです。
明治元年、3月13日。両人は家康公ゆかりの当山に登り、江戸の町を見渡しました。
(境内には、三角点があり、25.7mの標高が記録されている。天然の山としては東京23区内最高峰)
そして、どちらから言い出すともなく、
「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」
と談し、ともに山を下りたのです。そののち三田の薩摩屋敷で歴史的な会見をして、無血開城の調印を行いました。
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