歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 出世の石段祭りと煌びやかな輪島塗りの六角神輿の愛宕神社例大祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    愛宕神社 出世の石段祭り 平成21年 9月 (隔年)

神輿データ:祭神:火産霊命 台座:六角一辺一尺五寸 建造年度:昭和56年 製作者:石川輪島・神輿師
     特記: 輪島塗屋根に三つ葉葵紋 珍しい六角神輿です 参道急勾配86段の石段での渡御
 

六角宮神輿の出世の石段祭り。09.09.23.
六角宮神輿の出世の石段祭りは急勾配の86段石段降ろしの宮出しから

大判かわら版。09.09.23. 朱色の楼門と本殿。09.09.23. 出世の石段祭り 愛宕神社例大祭
09.09.23. (定日)
  宮出し16時〜宮入19時半
主祭神の火産霊命の防火・防災に霊験ある神社だが、 徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩も祀るため、 「天下取りの神」「勝利の神」としても知られる。
東京都港区愛宕 1-5-3。
大判かわら版縮小版の貼り付け 朱色の楼門から本殿へ

第二鳥居からは垂直に見える男坂。09.09.23. 参拝者は青息吐息の86段を登る。09.09.23. 鎮座する六角神輿。09.09.23.
愛宕第二鳥居から望む男坂 第一鳥居から仰ぎ見る石段 社殿前の本社六角神輿

愛宕神社は慶長8年(1603)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られた。 主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと) 「天下取りの神」「勝利の神」としても知られ、徳川家康の威光も踏まえ、 各藩武士たちは地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で愛宕神社を祀った。   徳川家三つ葉葵の紋。09.09.23. 宮神輿の屋根紋。09.09.23.
朱色の楼門の三つ葉葵の紋 宮神輿の屋根紋

煌びやかな細工の美しさ。09.09.23.   江戸前の神輿は四角のがっしりしたものが中心ですが、愛宕神社の神輿は石川県で製作のため輪島塗りの六角神輿です。 本来は、台車に乗せて牛がひっぱり巡行する「引き神輿」として作られたもので、 その細工の美しさには目を見張るものがあります。
煌びやかな細工の美しさ

そろりと石段に入り込む。09.09.23. 掛け声で担ぎ手を鼓舞する。09.09.23. 神職たち石段下から仰ぎ見る。09.09.23.
本社神輿の急石段の宮出し 担ぎ手達は急勾配をも打ち負かす高揚です 心配そうに見上げる神職

第一鳥居で激しい神輿揉み。09.09.23. 氏子区域へと渡御。09.09.23. 差し上げご挨拶。09.09.23.
解放感からか激しい神輿揉み 神輿担ぎに気合いが入る お神酒所への差し上げ挨拶

弓張提灯の照明は蝋燭。09.09.23. 宮入への神輿整備完了。09.09.23. 夕暮れの中のと渡御。09.09.23.
弓張提灯の照明は蝋燭 提灯取り付け宮入準備完了 夕闇への渡御の突入の如し

愛宕神社の例大祭は、2年に1度「出世の石段祭り」として御本社神輿の渡御が行われます。 目もくらむような出世の石段を御神輿が往き来する姿は勇壮そのもの。
発輿式〜石段下り      (16時より)
火入れ〜石段上がり〜還輿 (クライマックス19時30頃)



町会神輿が先導。09.09.23. 誉れの華棒。09.09.23.
代表の町会神輿が宮出し先導 町会神輿代表の誉れ高き宮出し担ぎ手達

情報頂くmaturiさん。09.09.23. 担ぎ棒なにか変ですね。09.09.23. 殿お勤めが今回は鼻棒。09.09.23.
情報頂くmaturiさん・担ぎは? 激しい神輿揉みで?担ぎ棒が 久々の鼻棒担ぎに気合い入れて

歴史の舞台にたった愛宕神社
万延元年、3月3日。時の大老、井伊直弼を水戸浪士が討った桜田門外の変は有名ですが、その水戸浪士が集結したのはこの愛宕神社。 浪士たちは神社内の絵馬堂(現存せず)に集結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門に向かったのです。 家康公が建てられた愛宕神社に祈願したわけですから、浪士たちにとって井伊大老を討つということは、 幕府のためだという確固たる信念があったのでしょう。

勝海舟と西郷隆盛による江戸城の無血開城に大きな役割を果たしていたのです。 明治元年、3月13日。両人は家康公ゆかりの当山に登り、江戸の町を見渡しました。 (境内には、三角点があり、25.7mの標高が記録されている。天然の山としては東京23区内最高峰) そして、どちらから言い出すともなく、 「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」 と談し、ともに山を下りたのです。そののち三田の薩摩屋敷で歴史的な会見をして、無血開城の調印を行いました。
 


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