歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 平尾杉山神社の宮出しは烏帽子を被り巴紋を龍が守る屋根紋の神輿を担ぐ
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    平尾杉山神社  平成21年 9月 (毎年)

神輿データ:祭神: 日本武尊 台座:2尺4寸(73) 建造年度: 昭和61年 製作者: 不明
  特記: 屋根紋は巴紋に龍 杉山神社の由緒は不明 社殿は1490年頃に再建されたという
 

小高い丘から烏帽子姿での宮出し。09.09.27.
小高い深緑の鎮守の森から参道わきの坂道を崖の左棒は烏帽子姿が左肩で担いでの宮出し

神事行事と里神楽POP。09.09.27. 静かに待つ神馬。09.09.27. 拝殿の注連縄と神事。09.09.27.
べニアに貼った簡素なPOP 渡御に参加の神馬は待機中 特徴の注連縄と拝殿内での神事

御霊移しチト手古摺っている。09.09.27. 氏子が役務引き受け式。09.09.27. 稲城平尾杉山神社。
例大祭:09.09.27.(日曜)
  宮出し 12時半〜宮入夕刻
東京都稲城市平尾1189。
平尾団地の片隅にある神社で神様は大和武尊と弟橘姫。開運厄除け縁結びの神様。
神職一人で御霊移しの儀 祭礼行列の役務引き受け式

小山を切り崩したような場所に建立されている杉山神社。そのせいか、 本殿の裏はすぐに切り立った崖です。 神奈川県東部の鶴見川流域に72社あった杉山神社のうちの1社であり、最も上流地域にあたると思われる神社である。 御神体は延徳4年(1492)には掛仏であったが、江戸時代末に失われ、現在は日本武尊と弟橘姫の木像が安置されている。 本殿及び拝殿は、大正14年に再建されたものである。  

土煙上げて宮出し。09.09.27. ギリギリの坂道からの宮出し。09.09.27. 第一鳥居に降りてきた神輿。09.09.27.
子供神輿に続き土煙上げ宮出し 烏帽子被り坂道の宮出し 鳥居下から渡御です

午前9時からササラで渡御路全域の道清めの儀が行われ、12時からは御霊移しの儀の神事が執り行われる。 午後0時30分、打ち上げ花火を合図に参道石段脇の坂道から烏帽子姿での宮出し。宮入は18時です。

先払い大太鼓。09.09.27. 屋根紋は巴に龍。09.09.27. 殿の騎乗神職。09.09.27.
太鼓台車はハンドル兼ブレーキ 珍しい屋根紋神輿の渡御 祭礼行列の殿が騎乗神職

宮出しから最初の御旅所までは、烏帽子をかぶる。 祭列は独特で、お囃子山車、先払い太鼓、子供神輿が、屋根紋には巴紋に龍が囲む宮神輿を先導です。 その後を金棒が付き(渡御路は道清めの儀が行われているためなのか)総代、高張り提灯、騎乗神職が続くのです。

鶴見川流域に72社あった杉山神社。
「杉山神社の本社はどこか、御祭神はだれか」昔から盛んに議論されてきましたが、未だに定説がありません。 明らかなことは、杉山神社の分布が鶴見川・帷子川・大岡川の三水系、及び多摩川の右岸(川崎寄り)に限られていること、 多摩川の左岸(東京寄り)地域は氷川神社が多いこと、杉山神社が数多く分布する旧都筑郡でありながら現在の旭区内には一社もなく 他の神社の勢力が優勢であることなど、ごく一部に限られます。 杉山神社の分布状況から「杉山の神」を奉斎する集団が、海を渡って江戸湾(東京湾)に入り、 各河川を遡りながら開発を進めたのではないかと考えたくなりますが、それも推論の域を出ません。杉山神社についての研究はまだまだこれからです。 一般に古い歴史をもつ神社ほど、由緒や御祭神がよく分からないと言われています。 つまり「杉山神社考」とは、杉山神社が古社であることの証明に他なりません。 (杉山神社研究会より転記)
 

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