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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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井草八幡宮 平成21年 10月 (3年目神幸祭・5年目流鏑馬以外渡御) |
神輿データ:祭神:八幡大神 台座:二尺九寸(89) 建造年度:昭和15年 製作者:浅草・宮本重義
特記: 蕨手や野筋に錺を効かせた大唐破風軒屋根 勾欄造り 胴や鳥居の木彫が見事
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秋の午後三時の夕日を浴びて井草八幡宮へ向けての渡御へ出立 |
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井草八幡宮 09.10.04.(日曜) 宮出し13時 宮入 17時
杉並区善福寺 1丁目33 |
毛書体のPOP |
均整とれた拝殿に扁額が光る |
井草八幡宮の広大な境内 |
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例大祭は毎年実施ですが内容が変則的で、
3年目は神幸祭・5年目は流鏑馬でそれ以外の年度に神輿渡御です。
氏子区域は広いが神輿渡御は、青梅街道の神社北駐車場と桃井3丁目緑地公園を往復するのみです。 |
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朱塗大鳥居と流鏑馬場の東参道 |
楼門の左右には町会神輿庫 |
北参道の高さ9mの大灯籠 |
神社としての形態をととのえたのは平安時代末期といわれている。
当宮は創建当時は春日社を祀り、
源頼朝が奥州藤原征伐の際に戦勝祈願をして立ち寄ったと伝わっており、
それ以来八幡宮(応神天皇)を奉斎。現在は神社本庁別表神社に指定されている。
また昭和49年建築の本殿内には寛文4年(1664)に
改築した一間四方の朱塗の本殿があり、杉並区最古の木造建築物がある。 |
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渡御前の御太鼓の試し打ち |
八幡宮へ向けて渡御再開 |
山車は人力で引っ張るほうが |
御太鼓は皮張り4尺5寸(136cm)。大国魂神社の御太鼓には敵いませんが。
立派な台車の山車は、やはり人力で引っ張るべき。四駆牽引とは味気ない。 |
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先導する気合も十分の御太鼓睦 |
太鼓と山車に続き神輿の出立 |
宮入は別れ惜しみ担ぎ止めない |
神楽殿は平成七年、源頼朝祈請八〇〇年記念・
皇太子殿下御結婚奉祝事業として従来の舞台だけのものから橋掛かりのあるものへと改築されました。
伝統芸能の里神楽や井草囃子、狂言、薪能などが毎年例大祭で行われている。 |
井荻ウド:
井草八幡宮を中心とする地域は、武州多摩郡遅野井村として古くより開けていた。
江戸時代に入いると、青梅街道を通じて野菜の生産や薪で生計をたてる農村として発展した。
文政年間(1818〜30)旧上井草村寺分(現在の杉並区西荻北)の古谷岩右衛門が尾張(現愛知県)
でウド栽培法を習い、井草八幡宮付近一帯に広める。ウド生産は明治、大正、昭和に盛んに行われたが、
昭和30年代に入り都市化の影響でこの地の栽培量は大幅に減少、
現在は北多摩で東京ウドとして栽培されている。 |
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