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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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小野照崎神社大祭 平成22年5月 (3年毎) |
神輿データ:
祭神:小野篁命 台座:三尺八寸(115) 建造年度:大正2年 製作者:神田・宮惣
特記: 黒漆塗りの延軒屋根 緩やかな五段刻みの勾欄を廻らせ見事な錺神輿です。 |
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境内狭くて「うぐいす通り」からの宮出しですが騎乗宮司の付き添い朱傘が早や遅れがち |
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大祭'10.05.16.(日曜)
宮出し8:20。火入れ18:20。宮入19:15。
852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。
相殿に菅原道真を祀る。
寛永年間(1624-43)、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。
東京都台東区下谷2-13-14。 |
かわら版 |
左書き小***照崎 |
右書き小野照崎提灯 |
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小野篁(おののたかむら:延暦21年(802)〜仁寿2年( 852)。
平安時代前期の官人、学者、歌人。遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、
参議小野岑守の子。官位は従三位・参議。
承和元年(834)遣唐副使に任ぜられるが、正使藤原常嗣の専断に憤慨しいさかいを起こし、嵯峨上皇の怒りを買い隠岐への配流に処された。
承和7年(840)許されて帰京・本位に復す。
異名は「野相公」、その反骨精神から「野狂」とも。 |
坂本町会の小野篁の掛け軸 |
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社名旗、猿田彦 |
大麻(神官)祓主(神官) |
殿の要の騎馬宮司 |
小野照崎神社の大祭は通常の神輿渡御ではなく三年毎の神幸祭なのです。
先導は年番と当該町役員、鉄杖、大麻、社名旗、猿田彦、お囃子車、御幣(町役員)、大麻(神官)祓主(神官)、
神童連、拾五ヶ町睦会、正副実行委員長、氏子総代・町総代、社名旗、台持鳶・白丁賽物係・膳板係・電線係、
氏子舁ぎ手若衆・氏子青年会、交通警護役員、「本社神輿」、騎馬宮司、白丁木枝傘、馬係りの祭列です。
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大小二種の五色の大御幣 |
神社御幣は初夏の風になびく |
支える御幣役は重労働 |
御幣: (ごへい・おんぺい・おんべ)
神道の祭祀で用いられる幣帛(へいはく)の一種で、幣束(へいそく)の敬称で幣(ぬさ)ともいう。
細長く切った白色や五色・金・銀の紙や金箔・銀箔などの紙垂を木・竹の幣串に挟んだもので祓などに使う。
氏子青年部ではなく町役員が大型の御幣持ちを勤めます。
神社御幣は宮出し宮入のみに同行のようで、氏子地区渡御には町会御幣のみが先導します。
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担ぎ手達早くも祭りモード |
お神酒所御挨拶に方向転換 |
魂振りを繰り返し渡御 |
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坂本町会のお神酒所で宮神輿に木が入る |
女官加わって華やぎます |
毎回三社祭りのお祭り騒ぎと搗ち合うが、小野照崎神社の大祭は氏子達が伝承と伝統を大切に守り続けています。
陰祭りには氏子15ヶ町で町会神輿を神社までの連合渡御が執り行われる。
7基の町会神輿と2基の子供神輿が、中入谷交差点から言問通り、金杉通りを経て、
小野照崎神社までおよそ1時間半の巡行だとか。 |
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小野照崎神社の照崎(てるさき)とは、忍岡(しのぶがおか)つまり現在の東京都台東区の上野公園一帯の古名です。
〈しのぶのおか〉〈しのびのおか〉とも呼ばれた。なお上野公園には不忍池(しのばずのいけ)がある。 |
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