歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 花園神社の大祭は本社神輿と雷電神輿が悠然と連なっての連合渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    花園神社 平成22年 5月 (隔年)

神輿データ: (本社)祭神:倉稲魂命 台座:三尺五寸(107) 建造年度:昭和55年
  製作者:浅草・岡田屋布施  特記: 延軒屋根・勾欄造り 鳳凰の目には天然ダイヤを嵌め込む
神輿データ: (雷電)祭神:倉稲魂命 台座:三尺五寸(106) 建造年度:平成元年
  製作者:浅草・南部屋五郎衛門  特記: 延軒屋根・勾欄造り 独特の火炎擬宝珠
 

新宿二丁目を本社先頭で連なって連合渡御。'10.05.30.
花園神社の本社神輿と雷電神輿が連なって新宿二丁目を渡御

配色渋いかわら版。'10.05.30. 雷電神輿と本社神輿。'10.05.30.   花園神社大祭。
'10.05.30.(日曜)
 宮出し9時40分〜宮入21時
東京都新宿区新宿5-17-3
渋いかわら版 火焔擬宝珠の雷電と大鳳凰の本社神輿

花園神社は、徳川家康の江戸開府の慶長8年(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。 徳川が武蔵野国に入った天正18年(1590)より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。 寛政年代に現在の場所を拝領することになりました。 その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、 たくさんの花が咲き乱れていたそうです。 この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされる。  

二丁目交差点から新宿通りへ。'10.05.30. 魔除け守護の八方睨を合羽が邪魔をする。'10.05.30. 島田囃子が神輿を先導。'10.05.30.
振れ太鼓と道案内の猿田彦 守護の八方睨観れぬ獅子頭 島田囃子で神輿を先導です

獅子頭や島田囃子を乗せた山車を先頭に、本社神輿と雷電神輿の二基が神社から靖国通り、 新宿通り、明治通りを練り歩きます。 氏子町会は新宿1丁目、新宿2丁目、番衆町、花園町、新宿3丁目、新宿4丁目、三光町、新宿園の八町会で、 それぞれ本社・雷電神輿の引渡しが行われます。 新宿御苑前の新宿二丁目から新宿三丁目が観賞しやすい。  

大鳳凰の本社神輿。'10.05.30. 擬宝珠の雷電神輿。'10.05.30.
二丁目を渡御の本社神輿 一丁目を本社に続き渡御する雷電神輿

引渡し場所目指し連合渡御。'10.05.30. 引渡し直後本社神輿での揉め事。'10.05.30.
三丁目引渡し場所目指し連合渡御 前進する本社神輿での揉め事

新宿三丁目での引渡しは規則正しくスムーズに行われました。 ここからは渡御を雷電神輿が先導します。 後方の本社神輿が担ぎだされた直後に、華棒取りの揉め事です。 四丁目交差点から甲州街道陸橋側道で本社またも拳のバトル。  

悠然と入り込む雷電神輿。'10.05.30. 狭い陸橋下をブレながらの本社神輿。'10.05.30.
新宿四丁目交差点から狭い甲州街道陸橋下へ 本社神輿は甲州街道陸橋下でも揉め事

かつての新宿は、内藤新宿とか追分新宿とか呼ばれていた宿場町で、 その名は「内藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味していました。 その後、岡場所(官許の遊里以外で私娼のいた場所)としても知られるようになった。
内藤氏は家康に仕えて駿府(今の静岡)に住み、 二代目清成は家康の関東移封に先立ち、江戸に居城を構えるために伊賀組百人鉄砲隊を率いて、国府道(後の甲州街道) と鎌倉街道の交差点となっていた、現在の新宿二丁目を中心として陣屋を敷き警備にあたる。 家康入城後、内藤氏は布陣していた地をそのまま拝領した。これが現在の新宿御苑です。


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