四谷の由来。 江戸時代以前は、半蔵門から西は広いで原っぱで四谷辺りまでを「一木原」、その先新宿駅辺りまでを
「よつやの原」と呼び、一面にススキが生え、秋になると朝霧がかかり風に尾花が波打つ様子はちょうど
海原を思わせるものがあった(府内備考)という。
農家が四軒のみだったため「四つの家の原」と呼ばれていたが、後に家が増えたことから四谷とか。
◎「四つの谷」とは、@紅葉川渓谷(市ヶ谷)、A鮫河谷(鮫河橋から北)、
B渋谷川渓谷、C蟹川渓谷(加二川上流)の4谷である。
◎「四つの屋」とは、梅屋(梅渋の染物屋)・木屋(濁酒屋)・茶屋(旅人の休憩所)・布屋(茶屋)の4軒で、梅屋が最も古く、
慶長のころの木屋と茶屋、元和に布屋の四屋が揃った。 |
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