歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 四谷須賀神社の渡御は誉れの華棒が一番ハードな四谷担ぎでの渡御です
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    四谷須賀神社 平成22年 6月 (隔年)

神輿データ:祭神:須佐之男命 台座:三尺三寸(100) 建造年度:昭和51年 製作者:下谷大槻装束
   特記: 延軒屋根・平屋台造り 渡御の前半と後半で擬宝珠を鳳凰と葱花に取り替える
 

華棒の迫力ある四谷担ぎ。'10.06.06.
四谷須賀神社は四谷担ぎ(熊野神社の千鳥担ぎも同じ)で渡御

味あるかわら版。'10.06.06. 四谷一丁目町町会の江戸風募集'10.06.06.。 よしずの一丁目お神酒所。'10.06.06.   四谷須賀神社
’10.06.06.(日曜)
宮出し7時半〜宮入20時
渡御はハードな四谷担ぎ
渡御中に古に二基あった名残で擬宝珠を宝珠から鳳凰に替える
東京都新宿区須賀町5番地
洒落たかわら版 担ぎ手募集POP 四谷一丁目町会お神酒所

四谷須賀神社。
江戸初期より鎮座。四谷十八ヶ町の鎮守。古くは四谷の天王祭りといわれ、 江戸の五大祭りの一つとして有名でした。社名の須賀は須佐之男命が出雲の国で、 八俣の大蛇を討ち 「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」 と宣り給いし故事に基づく名称。 社殿は文政11年(1828)建造。 社宝として天保7年に画かれたこの三十六歌仙絵がある。
 

渡御祭列。'10.06.06. 神職露払いの後を大御幣。'10.06.06.
祭列の幟と榊 大栞御幣を掲げて宮神輿を先導する

四谷須賀の例大祭は四谷天王稲祭礼と云われており、二基のお神輿が六月十八日に上町を巡行し、 お仮屋に安置され翌日には下町を巡行していました。 渡御中に擬宝珠を宝珠から鳳凰に替えるのは、古に二基渡御した名残なのです。  

町会のお囃子舞台は車道際。'10.06.06. 珍しく神輿を肩にお祓いを。'10.06.06. 初夏にゆったり揺れる大御幣。'10.06.06.
四谷一丁目町会お囃子 お神酒所前で担ぎお祓い受け 初夏に爽やかな大栞御幣

四谷担ぎ前進をと催促の指揮者。'10.06.06. 華棒担ぎ手は十分な気合。'10.06.06.
四谷担ぎに前進促す渡御役員 気合十分の様になっている四谷担ぎ

四谷担ぎの伝承されている所作は
躰は、神輿を中心にすこし寄りかかる様に肩を入れ、腰をのばす事を心がける。
1)手は基本的に台棒を支えるが、疲れたら腰に当てる
2)花棒は、両手を首のうしろの棒に支える。
3)足は、スリ足でひざを深くまげないように歩くように進む、花棒は足をつっぱる様にする。
4)神輿は、左右に振れるが一人が胴の中にはいって前進を促すようにする。
5)担ぎの掛け声は、昔からの「サッサッサー、サッサッサー」「ドシタイ、ドシタイ」を中心に
  「オイサ、ホイサ、チョイナ」などいろいろと合い混ぜてもよい
 

四谷の由来。 江戸時代以前は、半蔵門から西は広いで原っぱで四谷辺りまでを「一木原」、その先新宿駅辺りまでを 「よつやの原」と呼び、一面にススキが生え、秋になると朝霧がかかり風に尾花が波打つ様子はちょうど 海原を思わせるものがあった(府内備考)という。
農家が四軒のみだったため「四つの家の原」と呼ばれていたが、後に家が増えたことから四谷とか。

◎「四つの谷」とは、@紅葉川渓谷(市ヶ谷)、A鮫河谷(鮫河橋から北)、 B渋谷川渓谷、C蟹川渓谷(加二川上流)の4谷である。
◎「四つの屋」とは、梅屋(梅渋の染物屋)・木屋(濁酒屋)・茶屋(旅人の休憩所)・布屋(茶屋)の4軒で、梅屋が最も古く、 慶長のころの木屋と茶屋、元和に布屋の四屋が揃った。
 


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