歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 東長沼の隣接する上新田と下新田の津島神社は同日の大祭です
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    東長沼上新田 津島神社天王祭 平成22年 7月 (毎年)

神輿データ: 祭神:須佐之男尊 台座:二尺三寸(70) 建造年度:昭和58年
 製作者:前橋市・神戸農一  特記: 旧上新田(西新田)の天王祭 唐破風軒屋根・勾欄造り
 

無名で小さな社の祭礼も近隣の長年の応援で賑やかに渡御です。'10.07.18.
近隣の多くの担ぎ手に担がれる神輿の駒札は天王社 お囃子山車は兼務社青渭神社

天王社なのに稲荷の朱塗り鳥居に違和感懐く。'10.07.18. 社殿も防虫朱塗り。'10.07.18. 清涼青色POP。'10.07.18.   東長沼上新田
   津島神社
'10.07.18.(日曜)
宮出し13時〜17時
訪問者に分かりずらい住宅路地角の鳥居とその奥の社殿
稲城市東長沼402
朱塗り鳥居に社号の天王社 社殿は防虫腐食の朱塗りか POP

東長沼上新田の津島神社(旧称牛頭天王社)は天慶8年(945)毎年玉川の氾濫とその後起こる病難を救わんと牛頭天王を祀る。 また相殿の稲荷神社は徳川幕府の府中に住む瓜奉行が元禄14年(1701)伏見稲荷を村内繁栄のため勧請する。 大正15年に旧称牛頭天王社から社名を津島神社に変更。 昭和58年社殿新築。上新田の437世帯の寄付浄財で建てられた。 東長沼の上新田と下新田にある二つの津島神社は愛知県津島市にある津島神社の末社である。  

休息のストア稲城ざるやからも気合入れて担ぐ。'10.07.18. 渡御は細い農道へ入り込。'10.07.18. 神輿を路地一杯に担ぐ。'10.07.18.
休息所のストア稲城ざるや横から 農道に入り込む振れ太鼓 神輿も路地幅一杯の渡御

神輿ご接待宅へ入り込む。'10.07.18. 接待宅の中庭へよいとで入り込む神輿。'10.07.18. 農道でお囃子奏でる。'10.07.18.
ご接待宅の玄関へ入り込み 御接待宅中庭へよいと担ぎで 渭山車は囃子を奏でる

上新田下新田の兼務社は渭(あおい)神社。東京都稲城市東長沼1053。
創建年代は不明であるが、伝承では弘仁年間(810〜824年)の創建とされている。 長沼の地名のとおり、この地は多摩川の氾濫原であり、長く沼地であった。 その為に、渭はかつては大沼明神、青沼大明神などとも呼ばれていた。 この長沼の地にしろ調布の深大寺にしろ水に関わりが深い土地であり、青渭神は水神であると考えられている。
 


津島神社(愛知県津島市神明町)は古くは津島牛頭天王社(ごず) 今日なお一般に「津島のお天王さま」と尊称されている。祭神は素盞鳴尊。 社伝によれば欽明天皇元年(540)に鎮座、 一条天皇の正歴年中には天王社の号を賜わり、諸国の天王社の総本社で全国に約三千の分霊社がある。
御鎮座以来歴代の武門を始め庶民から篤く尊信されたが、殊に戦国時代津島に隣接の勝幡城の出身である織田信長は、 当社を氏神と仰いで造営その他に協力し、豊臣秀吉は天正十九年(1591)楼門(重要文化財)を寄進し、 慶長三年(1598)には、秀頼が秀吉の病気平癒を祈願して南門(県文化財)を寄進した他、 社領等を寄進造営し尊信した。
 

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