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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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蒲田八幡神社 平成22年8月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 誉田別命 台座:二尺五寸(77) 建造年度:昭和58年
製作者: 浅草・宮本重義 特記: 黒漆塗り延軒屋根・勾欄造り |
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京急蒲田西口商店街あすとのアーケード街を激しい神輿揉みで渡御する宮神輿 |
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例大祭 '10.08.08.(日曜)
宮出し 8:30〜宮入 16:30.
大蒲田祭: 町会連合渡御
会場 東口歩行者天国
15:30〜 宮神輿が東口で合流か
東京都大田区蒲田4-18-18 |
例大祭POP |
大蒲田祭POP |
お神酒所で掲げる渡御路 |
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創祀は不祥ですが、境内に小円墳があったことから古くより聖地として祭祀が行なわれ、
言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったものと思われる。
蒲田村より新宿分村は慶長の頃と言われて、神社では慶長5年(1600)に鎮座と定めている。
平成12年には鎮座400年祭を施行した。
蒲田の中心にあったため、昭和24年に新宿八幡神社を蒲田八幡神社と社名変更。
戦火で焼失した社殿は昭和33年に再建された。 |
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環八通りを渡御中暗天に |
ポツポツ俄かに通り雨です |
南蒲田1丁目神酒所で神輿揉み |
昭和58年に社殿復興25周年記念事業として神社大神輿を新調した。
巴紋の印半纏を着た蒲田氏子青年会が、渡御を取り仕切り氏子地域九町会を練り歩くが、
特に京急蒲田西口からJR蒲田東口そして神社宮入が見所とか。
渡御順に蒲田四丁目、蒲田五丁目、蒲田本町一丁目、蒲田本町二丁目、南蒲田二丁目、南蒲田三丁目、
南蒲田一丁目自治会、京浜蒲田、蒲田東口町会の九町会。 |
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狭い裏路地から第一京浜へ渡御 |
第一京浜の京急空港線踏切へ |
急げ遮断警報器なる前に横断を |
箱根駅伝でお馴染の開かずの踏切で有名な?京急蒲田駅周辺の連続立体交差事業が平成26年完成目指し、
京浜急行本線平和島駅〜六郷土手駅間及び同空港線の京急蒲田駅〜大鳥居駅間が工事中です。
すでに一部使用され景観は一変しています。 |
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斬新なデザインの大田区産業プラザから環八へ |
京急蒲田商店街あすとアーケード街を渡御 |
産業プラザは青果を取扱う荏原市場蒲田分場の敷地跡に平成8年(1996)に開館。
展示ホールを主体とした低層部(地上2階)と会議室及びコンベンションホールを主体とした高層部(地上6階)に別れており、
高層部は敷地の有効利用の面もあって鋭角三角形の平面形を持っている。
そのため、外装デザインと併せて独特の外観をなしており、特徴的な外観の公共建造物としても有名である。 |
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蒲田地名の由来: 昔は「鎌田」とも呼ばれていた。「和名抄」にも記載があり、奈良・平安時代から続く古い地名である。
湿地に溝を掘ると水が抜けて乾燥地が出来、
これを「蒲地・蒲池(がまち・かまち)」と呼ぶがそれが転じた。または、
かつてこの辺り一帯は蒲の茂る沼地であり、それにちなみ泥深い田地を示す「蒲田」から来ている等の諸説ある。 |
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