歴史の浪漫街道  お江戸の神輿  炎天下の灼熱のもとで担ぎ手達が気合と情熱で担ぎ続ける蒲田八幡神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    蒲田八幡神社 平成23年 8月  (毎年)

神輿データ: 祭神: 誉田別命 台座:二尺五寸(77) 建造年度:昭和58年
   製作者: 浅草・宮本重義   特記: 黒漆塗り延軒屋根・勾欄造り 美形の神輿
 

kamata-demura.jpg(79708 byte)
出村通りの狭い道幅一杯使い炎天下に負けぬ熱気の神輿渡御

八幡神社祭礼案内に重ねるとは。'11.08.07. kamata-torii.jpg(10961 byte) kamata-hatiman.jpg(10638 byte)   蒲田八幡神社例大祭
日時'11.08.07.(日曜)
宮出し9時 宮入16半
 同日開催大蒲田祭
大田区蒲田四丁目18
祭礼に重ねPOP 社額含め独特のあずき色の鳥居 例大祭なのに静寂の中で参拝者

蒲田八幡神社。 祭神は誉田別命(応神天皇)で創建は慶長5年(1600)と新しい。 蒲田郷の名は「和名抄」(承平年間(931〜938年)に編纂された辞書)に記載されており、 蒲田から新宿村が分村するにあたり、鎮守として稗田(ひえた)神社より御分霊を迎え、 新宿八幡神社と称したことによる。現在の社号に改めたのは昭和24年(1929)のことである。  

kamata-togyo.jpg(11727 byte) kamata-togyo2.jpg(11936 byte) kamata-togyo3.jpg(11836 byte)
出村通りを渡御してくる 暑さに負けぬ担ぎ手の掛け声 炎天下でも担ぎ手の熱気

蒲田出村通り商店街。  蒲田村は古く室町時代に見える。村が拡大すると蒲田村は北蒲田村や蒲田新田 (蒲田新宿村=しんしゅくむら)に分村した。 出村というのは村の形態の一つで、本村から分離または独立してできた村です。 昔は出村という駅(京浜急行蒲田駅と雑色駅間で急行列車待避駅)がありました。 蒲田温泉(大田区蒲田本町2-23)のある通りを出村通りというのはそのためです。  

kamata-katugite.jpg(14415 byte) kamata-katugite2.jpg(15202 byte)   都内で熱雷が激しく聞こえる。ゲリラ豪雨の予感がして、 南蒲田氏子地区へ渡御する神輿と京急ガード下でお別れです。
炎天下も何のその 熱気に負けぬ担ぎ手達のこの気合

蒲田氏子青年会が担当して、氏子地域九町会を練り歩きます。 特にJR蒲田駅前から神社に宮入りするまでの合同渡御(大蒲田祭)が見所だとか。  

kamata-omikisyo.jpg(77430 byte)
狭い出村通りの蒲田本町2丁目町会お神酒所前での神輿揉み

蒲田地名の由来。   諸説あるが、○ 湿地に溝を掘ると水が抜けて乾燥地が出来る。これを蒲池と呼ぶがそれが転じた。 ○ かつてこの辺り一帯は沼地であり、それにちなみ泥深い田地を示す「蒲田」から来ている。 ○ 飛び越えた所や沼の中の島などを意味するアイヌ語の「カマタ」から来ているとか。
昔は「鎌田」とも呼ばれていた。 「和名抄」(平安時代中期に作られた辞書)にも記載があり、 奈良・平安時代から続く古い地名である。
 


yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「お江戸の神輿・八王子八幡八雲神社」にリンク。 「お江戸の神輿・祭りだ!神輿だ!」へリンク。