歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 大森駅前高台の境内から八景坂池上通りに躍り出て渡御する山王天祖神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    山王天祖神社 平成22年 8月 (隔年)

神輿データ: 祭神: 天照大御神 台座:三尺(90) 建造年度:昭和58年
   製作者: 地元・祭友会手作り  特記: 吹き返しが無い延軒屋根・平屋台造り
 

JR大森駅前の池上通りを悠然と渡御。'10.08.22.
胴に晒を巻き黒光りする屋根の素朴な神輿が大森駅前の池上通りを悠然と渡御

ラッピングされたPOP。'10.08.22. 炎天下の境内は静寂。'10.08.22.   山王天祖神社大祭。
'10.08.22. (日曜)宮出し14時〜宮入は夕刻。
簡素な祭友会の手作りの宮神輿で、高台の神社から下りてきてJR大森駅前の池上通りを渡御する。
大田区山王2-8-1
ラップPOP 高台の境内は炎天下避け静寂

天祖神社の創建は分からない、古くは神明社といわれた。 八幡太郎義家(1039〜1106年)が奥州征伐のとき戦勝を祈願したといわれている。
現在の池上通りは八景坂(はっけいざか)と呼ばれ、この坂上からの眺めは素晴しく近くは大森の海岸、 遠くは房総まで一望のもとに見渡すことができたといい、 そこから八景坂と呼ばれるようになったといわれている。 平安朝の頃から知られていたようで、詩(うた)にも詠まれ、 江戸享保年代(250年前)には、雪景色の名所としても知られていた。
 

路地坂道を下りてくる。'10.08.22. お神酒所前で神輿揉み。'10.08.22. 池上通りへ躍り出る。'10.08.22.
路地の坂道を下りてくる お神酒所前の神輿揉み 池上通りへ躍り出る

坂道の池上通りを下りてくる。'10.08.22. 大森駅前の車輛を掻き分け渡御。'10.08.22.
坂道の池上通りを悠然と渡御 駅前の車両を掻き分けての渡御

JR大森駅山王口を出た正面の池上通り、商店街を両側に挟んで天祖神社の鬱蒼とした森が迫り、 起伏に富んだ地形の面白さを簡単に理解出来る場所です。
神社境内脇の馬込文士村のレリーフが嵌め込まれた路地坂から望む崖下には店舗の屋根が広がっている。 さらに池上通りを挟んだ向いの線路側は一転して谷底の小路飲食店街(約40軒)通称「地獄谷」となっている。 地獄谷の由来: 昔は急な坂の入り口に階段がなく、 雨の日は降りても昇れなくなるからとか。
 

文士や芸術家のレリーフ。'10.08.22.   現在は閑静な住宅地になっている山王・馬込は、大正末から昭和初期、 多くの文士や芸術家達が住み、「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。 当時大森駅前の高台は都市近郊の別荘地として知られていたが、馬込は雑木林や大根の畑が広がる一帯でした。 馬込の大根畑の真ん中に若い尾崎士朗・宇野千代が移ってきたのは大正12年(1923)。 士朗は文学仲間を次々誘い、社交的な二人は文士達の中心的な存在となる。 大正12年は関東大震災の年。東京近郊へ移り住む人々が急増し、馬込一帯も次々に宅地化され、 景観が大きく変わってきた時代でした。
馬込文士村のレリーフ

大田区は昭和22年に大森区と蒲田区が合併して一区となり「大田区」が発足した。 大森・蒲田両区から一字づつ取る折衷案できめられた。 また山王は池上通り八景坂上にある大田区山王1丁目6番の日枝神社(山王社)から名が付く。  

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