歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 大森谷戸三輪神社は大森町商店街を気品ある宮神輿と中神輿とで連合渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    大森谷戸三輪神社 平成22年 9月 (毎年)

神輿データ: 祭神:大国主命 台座:二尺四寸(73) 建造年度:不明 製作者: 行徳・浅子周慶
        特記: 打ち出し模様の吹き返しを大きく立ち上げた延軒屋根 勾欄造り
 

台座二尺四寸だが大きく見える谷戸三輪宮神輿。'10.09.05.
背後に真夏の西日受けながら大森町商店街を渡御する谷戸三輪神社神輿

半紙に刷られたかわら版。'10.09.05. 谷戸三輪神社本殿。'10.09.05.   大森西谷戸三輪神社。 例大祭'10.09.05.(日曜)
 宮出し12時50分〜宮入17時45分。
東邦医大通りや大森町商店街の交通を止めて、神輿渡御。 平成22年度の渡御地域は三輪町会と邦西町会。一部中神輿が渡御。鶴渡町会は来年の渡御。 ただし鶴渡は前日の宵宮で中神輿が渡御する。
大田区大森西5-18-5。
簡素な三輪POP 谷戸三輪神社は赤い口の狛犬

谷戸三輪神社のある大森西4、5丁目や大森中1、2丁目付近は、西大森村谷戸と呼ばれ、品川宿と川崎宿の中間にあったので、 馬子人足や旅人の休息のために立場茶屋 (間の宿とも云う) が設けられました。  

渡御列見守る神職たち。'10.09.05. 神輿先導のお囃子山車。'10.09.05. 賑やかなお囃子方。'10.09.05.
渡御列確認する神職たち 先導するお囃子山車と中神輿 大森おはやし会のお囃子山車

疲労困憊か中神輿担ぎ手。'10.09.05. 地から振り絞り差し上げ。'10.09.05. 中神輿が三輪神社に無事宮入。'10.09.05.
チョットお疲れか中神輿の担ぎ手 差し上げて休息の木が入る 中神輿が早くも宮入

西日を背に受けて大森商店街を渡御。'10.09.05. お神酒社前で何度も神輿揉みを繰り返す。'10.09.05.
背に強烈な西日受けながら商店街を直進 ご接待のお神酒所で神輿揉みを繰り返す

大森三輪、鶴渡、邦西の三町会が氏子区域であり、丁度大森三輪町会の北の境が大森町商店街通り の北側は大森三丁目町会が諏訪神社で商店街の南側は谷戸三輪神社と氏神様が別れている。
宮入りした後、担ぎ手達は恒例の西図書館脇の公園で大納会が待っている。
 

立場(たてば)とは、江戸時代の五街道やその脇街道に設けられた施設である。継立場(つぎたてば)あるいは継場(つぎば)ともいう。 江戸時代の宿場は原則として、道中奉行が管轄した町。 五街道等で次の宿場町が遠い場合その途中に、また峠のような難所がある場合その難所に、休憩施設として設けられたものが立場である。 茶屋や売店が設けられていた。俗にいう「峠の茶屋」も立場の一種である。馬や駕籠の交代を行なうこともあった。 藩が設置したものや、周辺住民の手で自然発生したものもある。 また立場として特に繁栄したような地域では、宿場と混同して認識されている場合がある。 この立場が発展し、大きな集落を形成し、宿屋なども設けられたのは間の宿(あいのしゅく)という。 間の宿には五街道設置以前からの集落もある。 中には小さな宿場町よりも大きな立場や間の宿も存在したが、江戸幕府が宿場町保護のため、厳しい制限を設けていた。 現在五街道やその脇街道沿いにある集落で、宿場町ではない所は、この立場や間の宿であった可能性が高い。  

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