歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 荒川千住新橋袂の大川町氷川神社は本格的祭礼隊列を組み4年振り渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    大川町氷川神社 (五丁目) 平成22年 9月 (4年毎)

神輿データ:祭神: 素盞鳴尊 台座: 三尺八寸(116) 建造年度:江戸末期 製作者: 不明
     特記: 勾欄風の独特の囲垣 金具の唐草模様等美しい錺神輿です
 

美形の江戸末期の宮神輿が商店街を渡御。'10.09.12.
祭礼隊列を組んで大川町商店街を渡御する氷川神社の江戸末期の宮神輿

簡素な神社かわら版。'10.09.12. 意気込み感じる町会のかわら版。'10.09.12.   大川町氷川神社大祭。
'10.09.12.(日曜) 宮出し8時〜宮入17時。
本格的な祭礼隊列にチョット珍しい町火消纏である馬簾二本を隊列に加えて氏子区域を隈なく渡御する。
足立区千住大川町12-3。
かわら版 カラフル町会のかわら版

創建は鎌倉時代の永仁年間(1293-1299)でかつての千住5丁目地域の鎮守であった。 明治維新以前は安養院が別当であった。 明治44年から荒川放水路の大改修計画の一環として大正4年(1915)現在地に移転再建された。 本殿は昭和43年(1968)に竣工。近くに千葉周作ゆかりの「千住四つ木の灸」がある。  

見事な葦簾張りお神酒所。'10.09.12. 祭礼隊列先導する神職。'10.09.12. 祭礼盛り上げるお囃子屋台。'10.09.12.
本格的な東大川町お神酒所 祭列先導する神職と猿田彦 屋台がお囃子奏で宮神輿を先導

馬簾とは町火消が、組の目印として用いた纏(まとい)。 当初は纏のぼりといわれた幟形式で、 その後纏にたれ下げた細長い飾り48本となり、現在見る馬簾は享保15年(1730)からです。 もとは群雄割拠の戦国時代に、 敵味方の目印として用い、的率(まとい)あるいは馬印と称した。   練習重ねた馬簾廻し。'10.09.12. 年季の差が表れる馬簾廻し。'10.09.12.
足腰と手首のスナップで回転 威勢と歓声の馬簾一団

引き触れ太鼓、お祓い神職、金棒、猿田彦、社旗、榊、囃子屋台、馬簾、御幣、宮神輿、騎乗宮司、給水車と 本格的な祭礼渡御列を組んでの氏子区域への渡御です。  

江戸末期の美形の宮神輿。'10.09.12. 担ぎ手達の四年に一度の喜び。'10.09.12.
五丁目の千寿双葉小学校脇渡御の美形の神輿 四年に一度の担ぎの喜びで足立大川町郵便局前へ

大川町氷川神社(5丁目)には千住七福神の布袋がある。
千住祭連絡会の宵宮参加町会には、 東睦会:大川町氷川神社はじめ、元宿会:元宿神社。宮元睦:白幡八幡神社他が神輿を担ぎだす。
 

千住四つ木の灸 大川町の荒川土手下。 坂本竜馬が北辰一刀流を学んだ千葉道場の娘の名は「さな子」(佐那・佐奈)。 彼女が千葉家に伝わる家伝の灸で晩年の生計をここ千住で立てていた。 一説によると二人は婚約をしていたようで、一時は相思相愛だったとか。 竜馬の死後も一生独身でとおす。明治29年59歳でこの地で死去、墓は甲府市清運寺。  

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