歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 千住氷川神社は小さな氏子区域だが嘉永の江戸神輿がゆったりと渡御をする
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    千住氷川神社 (4丁目) 平成22年 9月 (5年毎)

神輿データ: 祭神:須佐之男命 台座:三尺五寸(107) 建造年度:嘉永7年
製作者:行徳 浅子周慶  特記:金梨地の延軒屋根 幅広台座 平屋台造り 四方桟唐戸
  毎年五町会連合の宵宮と陰祭には同型小型の浅草 宮本重義作の宮神輿が渡御する。
 

町屋路地中の渡御。'10.09.12.
町屋の路地中でギャラリーは少ないが5年振りに担ぐ宮神輿に歓喜の声

簡素なPOP。'10.09.12. 大正時代から復活の大幟。'10.09.12. 石段上に建つ拝殿。'10.09.12.   千住氷川神社
  (四丁目氷川)
'10.09.12.(日曜)
宮出し10時〜
   宮入17時
足立区千住4-31
簡素なPOP 参道脇に設置の大幟 簡素な拝殿

千住氷川神社は、元禄4年(1692)に長円寺境内に建立された。 明治3年同寺と氏子が社地を定める申し入れを申し出、明治5年千住宿北組(4丁目)の村社に定められました。 新義真言宗の長円寺は、月松山照光院と号し、寛永4年(1627)出羽湯殿山の行者雲海による開山。 なお同寺は千住氷川神社に隣接する足立区千住4-27-5。  

嘉永7年台座三尺五寸の本社神輿が悠然と午後の渡御を静かに待つ。 4丁目のお神酒所は地口行燈取り付けた江戸後期建造の伝馬屋敷造り商家の「松屋」が使われる。   嘉永7年浅子周慶建造の神輿。'10.09.12. 紙問屋の商家である屋号「松屋」'10.09.12.
午後の渡御を待つ浅子の宮神輿 お神酒所は伝馬屋敷造り商家

小料理屋の地口行灯。'10.09.12. 長円寺の地口行灯。'10.09.12.   9月の祭りに合わせて、千住の街に宵宮の地口行灯が幻想的に灯り始めた。 江戸時代に流行した言葉遊び 「地口」とユーモアたっぷりの絵が、 あたたかな気持ちにさせてくれる。

本祭りで行徳の浅子周慶作札の宮神輿が午前10時から渡御、午後は13時半から17時まで渡御を執り行う。 宵宮や陰祭りでは浅草 宮本重義作の神輿が巡行する。駒札は共に四丁目を掲げるので初心者にはどっちの神輿か戸惑う。  

午後の渡御へ。'10.09.12. ご挨拶なく鳥居前を過ぎる。'10.09.12. やっと威勢よく担がれる。'10.09.12.
午後の氏子区域渡御へ 神社鳥居前から気合入れる 氏子渡御へ威勢よく出立つ

幅広山車が賑やかにお囃子奏でる。'10.09.12. 見せ場だぞと威勢よく担ぐ。'10.09.12.
大正通りを幅広囃子山車が神輿を先導する お神酒所は伝馬屋敷造り商家の松屋

千住宿。 江戸四宿の一つで、日光道中と水戸・佐倉道の初宿。足立郡淵江領の千住町・掃部(かもん)宿と豊島郡小塚原(こづかっぱら)町・中村町(現荒川区)に置かれた。 日光道中で江戸へ2里8町、武蔵国草加宿へ2里8町、水戸・佐倉道の新宿(にいじゅく・現葛飾区)へ1里19町。 宿駅制の成立の端緒は慶長2年(1597)の馬継場指定と伝えるが、本格的宿場となったのは寛永2年(1625)に日光道中の初駅となった段階からで、 当初は南から北に延びる1丁目から5丁目の千住町内のみであった。 万治元年(1661)には千住大橋を越えて荒川右岸の小塚原町・中村町を加えて合計8町から構成される千住1〜5丁目、掃部宿、小塚原町、中村町) こととなり、千住八ヶ町とよばれるようになった。  


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