歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 まるで燻し銀のような大森堀之内三輪神社の平屋台造りの古神輿の渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    大森堀之内三輪神社 平成22年 10月 (2年毎)

神輿データ: 祭神: 大国主命 台座: 三尺七寸(114) 建造年度: 明治時代 製作者: 不明
 特記: 三重垂木の銅葺き延軒屋根 平屋台造りの古神輿 桟唐戸は細密です 別名燻製神輿
 

燻し銀のような三輪神社の宮神輿。'10.10.03.
大屋根の梨地色と相俟って燻し銀のような宮神輿が細い路地一杯使い突き進む

ラッピングのPOP.'10.10.03. 大森堀之内三輪神社社殿。'10.10.03.   大森堀之内三輪神社
'10.10.03.(日曜)
宮出し10時〜宮入13時
昭和20年の戦火に遭うも宮神輿だけが奇跡的に残りくすんでいるから燻製神輿と言われている。
東京都大田区大森中3-17-15
丁寧にラッピングされたPOP 大森堀之内三輪神社社殿

堀之内三輪神社は享徳年間 (1452〜56)に、住民が土地開拓の神として大国主命を祀り、 第六天社(此の地では従来「でいろくさま」と呼ばれ親しまれてきた)と呼び、 崇敬を集めたのが創祀と伝えられている。 大正4年 (1915)当所内の天祖神社・貴船神社を合祀して、社殿を改めるも、 惜しくも戦禍により一切を消失。その後昭和27年に社殿を新築し、現在に至る。 神社には近くまで海であったため、旧呑川の堀之内海苔養殖業者が多く住み、 境内には末社・北村神社を海苔の神様として祀っている。  

氏子区域で空き地は珍しい。'10.10.03. 直に細い路地へ。'10.10.03. 子供神輿が見え隠れする。'10.10.03.
空き地あり唯一の広い渡御路 思いきや急に狭くなる路地 前後に囲まれ見え隠れ子供神輿

子供が引っ張る引き太鼓、神職、見事な造りの子供神輿が続き、 燻し銀のような宮神輿が殿務める渡御列です。  

造り良い子供神輿。'10.10.03. 担ぎ手もホッとする広さ。'10.10.03. 路地一杯使う渡御。'10.10.03.
見事な造りの子供神輿 我慢の担ぎから広くなった路地へ 行けども路地一杯の渡御が続く

右左と電柱避けての渡御。'10.10.03. 三輪の氏子区域は狭い路地。'10.10.03.
狭き路地を左右に電柱避けての渡御が続く 行けども行けども氏子区域は狭い路地ばかり

境内は昭和20年の戦火に遭って全てを焼失したが、神輿庫の宮神輿は奇跡的に残ったのですが、変質して黒色となり、 燻製神輿と言われる。
まるで硫黄などをいぶして金属の表面をくすませた、燻し銀仕上げのような神輿なのです。
  燻し銀仕上げのような神輿。'10.10.03. 太鼓までがくすんでいる。'10.10.03.
まるで燻製神輿です 昭和27年引き太鼓までがくすむ

徳川期に大森周辺は武蔵国大森と称され、堀之内は大森の本村として伝承された古い地名です。 堀之内の地名は館に濠を巡らした土地に与えられる由緒あるもので、 北条時頼の時代 (1247〜59)における陣屋の旧跡であるとされる。
単独で二文字「大森」という町名は無い。かつての大森村は現在の大森東・大森西・大森中です。 品川宿と多摩川の間に広大な森があり間の宿(あいのしゅく)として海岸端に大森宿があり、 臨時的補助的な宿場であった。 つまりたいして開けてない村で、大森では開発されていない森林が海際まで迫っていて、 富士の樹海ほどの規模だったらしく、 元禄八年(1695)の織田信久の検地のとき、あまりの広さに東・西・北の三村に分ける。
 

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