|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
高砂天祖神社 平成22年 10月 (2年毎) |
神輿データ: 祭神: 天照座皇大神 台座:三尺三寸(100) 建造年度: 不明 製作者: 不明
特記: 擬宝珠を載せた延軒屋根 四方桟唐戸 平屋台造り 江戸末期の神輿を左右に振る |
|
|
擬宝珠を載せた宮神輿が多くの応援担ぎ手に担がれて賑やかに4丁目公園目指し渡御 |
|
|
|
手作りPOPは昭和神輿アピール |
祭礼幟や幕など何も飾らぬ社殿 |
簡素な高砂4丁目お神酒所 |
高砂天祖神社 '10.10.03.(日曜) 宮出し8時〜宮入18時 葛飾区高砂2-13-13 |
|
中世(鎌倉・室町時代)葛西御厨(みくりや)のあった頃、伊勢皇大神宮を勧請して氏神としたものと伝える。
「新編武蔵風土記稿」曲金村の条に当村観蔵寺の持としている。
現在の社殿は昭和36年の造営である。
葛西御厨(みくりや)=伊勢神宮領。現東京都葛飾区・江戸川区一帯。
平安時代永万元年(1165)本領主葛西氏が領内33郷を神宮に寄進したのです。 |
|
|
|
|
平成22年に蘇った昭和神輿 |
昭和神輿胴の極彩色も鮮やか |
同時に修復の引き太鼓台車 |
蘇った昭和神輿は中台製作所で平成22年春に山車と共に修理修復される。
祭神: 天照座皇大神 台座:二尺00寸(61) 建造年度: 昭和時代 製作者: 不明
特記: 擬宝珠 葺き返し見事な刻印 野筋が蕨手まで続く 四方桟唐戸 台座青貝塗
胴極彩色平屋台造りの見応えある神輿です。 |
|
|
|
|
引き太鼓に続く子供神輿 |
昭和神輿の担出し |
殿は纏が先導する本社神輿 |
渡御列は引き太鼓、子供神輿、昭和神輿、そして纏が先導する本社神輿で、
午前は神社の長い参道から京成高砂の北地区(北町町会)を回り、
午後13時より京成高砂駅前のイトーヨーカドー前から南地区(南町町会)の渡御です。 |
|
|
|
|
奉賛者宅前での神輿振り |
神輿振り後に差し上げ御礼 |
お神酒社での激しい神輿振り |
神輿振りは草津節に合わせて神輿を左右に振ると、聞き及んでいたが、
音頭取りの声は細くて聞きとれずじまいでした。 |
|
|
|
道路いっぱい使っての休息なしの40分の渡御 |
高砂4丁目ミラーに渡御支える担ぎ手が写る |
高砂の由来:
南葛飾郡曲金村字高砂による。この字名は明治9年地租改正のとき地元有志の発意でつけられた。
謡曲「高砂」は世阿弥元清の代表作で、嘉語(めでたい言葉)だとのことで決めた。
高砂の名がつく京成高砂駅は大正元年の開設です。
中川 葛飾区内を流れる一級河川だが、享保十四年(1729)
幕府が江戸を水害から守るため治水工事を行い、俗に「九十九曲り」という曲がりくねった川で、
明治17年に水戸街道を渡す木橋が架けられる以前は、「新宿の渡し」(にいじゅく)と呼ぶ渡船で、
広重の「江戸百景」や、「江戸名所図会」の挿絵にも載るほど風光明媚な場所だったらしい。 |
|