歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 国領神社は飾り気ない胴は晒しで覆い、調子取りの円盤板を付けて渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    国領神社例大祭 平成22年 10月  (毎年)

神輿データ: 祭神: 神産巣日神 台座:三尺九寸(120) 建造年度:昭和56年 製作者:福島県・
(有)松島  特記: 擬宝珠を載せた吹き返し無い延軒屋根 平屋台造り 昭和12年神輿は女神輿で
 

旧甲州街道を女神輿と宮神輿の連合渡御。'10.10.10.
大太鼓が先導する女神輿と神振り役乗せた本社神輿が旧甲州街道を連合渡御

素朴なPOP。'10.10.10. 簡素なお仮屋。'10.10.10.   国領神社例大祭
'10.10.10.(日曜) 宮出し御仮屋より13時〜18時。
布田と国領のJA国領までの旧甲州街道を大太鼓に先導されて、 往路は単基で復路は女神輿と連合渡御。
神社境内には樹齢500年の神木の「千年乃藤」がある。
調布市国領町1丁目7−1
POP 宮神輿の簡素なお仮屋

創建年月は不明。昔の国領神社は以前は第六天社と称し、古代多摩川のほとりにあった。 第六天社は薬師寺(現常性寺・鎌倉時代創建)の管理下で、 祭神は薬師如来の守護神十二神将の内の第六番目の第六天神でした。 寛永時代の(1640)前後に常性寺が街道筋(甲州街道)に移ったとき、同じように移転する。 明治の神仏分離の時に寺から分かれ村社になり祭神を神産巣日神とし、 明治八年には国領神社と改称。  

古神輿の原型神輿のような宮神輿。 葱花の儀宝珠に吹返しのない黒漆塗り延軒屋根、野筋からつながる蕨手。 鳥居を付けず平屋台造りで飾り気ない胴は晒しで覆い、左右には調子取りの円盤板を取り付ける。   三つ巴紋の精悍な宮神輿。'10.10.10. 一つ巴紋の女神輿。'10.10.10.
昭和56年建造の宮神輿 昭和12年建造の女神輿

多摩川が上流から運んできた肥沃な土壌である国領の大地に敬愛の念で守り神  (祭神は神産巣日神=かみむすひのかみ・ 「産霊」の名を持ち、天地造化、万物生成の根本神という性格を持つ女神的神格とされていてる。) の乗った神輿を少しでも大地に近かずけようと馬を使わない、古の素朴な祭礼の原型を保っている。  

腰を屈めて担ぎだし。'10.10.10. 輿に乗った神振り役二人の音頭取り。'10.10.10. 撥の音を轟かせ先導の大太鼓。'10.10.10.
腰を屈めて担ぎ棒を持ち上げ肩へ 神振り役二人を乗せの渡御 大太鼓が撥の音を轟かせ先導

宮神輿のみ渡り切れず。'10.10.10. 引っ切り無しに車輌通過。'10.10.10. やっと遮断機が開き急ぎ渡る。'10.10.10.
大太鼓と神職山車は渡りきったが 通過する電車に足踏み我慢担ぎ やっと遮断機が開きホッとする一団

休息所のJAマインズ国領から渡御再開ですが、いきなりの京王線国領踏切が渡御の難関なのです。 踏切の横が国領駅で特急が通過、各停が停車出発を上下線で繰り返し、遮断機は下りたまま、 その間神輿は足踏みです。指揮者は担ぎ手に、頑張れ!もう少し!を連呼して鼓舞する。 が、遮断機は7分間も開かない。  

踏切我慢担ぎで疲労困憊。'10.10.10. 再度気合入れなおして渡御再開。'10.10.10. 男衆などに負けぬ担ぎぶり。'10.10.10.
我慢担ぎで疲労困憊の担ぎ手 担ぎ手気合入れなおしての渡御 女神輿お仮屋から宮神輿を先導

両面打ちの大太鼓も主役です。'10.10.10. 擬宝珠で黒屋根の精悍な神輿。'10.10.10.
準主役の両面打ち大太鼓 国領神社の誇る精悍な宮神輿

国領の由来: この地は丹沢山系から多摩川が運んできた肥沃な土壌の土地であり、 奈良時代から平安時代にかけて朝廷の直轄地であった事から、 「国の領地」という意味を込めて「国領」と名付けられる。
江戸時代の甲州街道のこの周辺は、国領、下布田、上布田、下石原、上石原の各宿を合わせて布田五宿と呼ばれていた。 一つ前の宿場は上高井戸宿、次は府中宿である。
 


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