歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 小振り宮神輿でも古式の味わい深い青銅葺き八棟屋根の宮益御嶽神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


     宮益御嶽神社 平成20年9月 (毎年)

神輿データ:祭神: 日本武尊 台座: 一尺八寸(55) 建造年度:昭和29年 (1954)
製作者:多田瑞穂 青銅葺き八棟屋根 台座が厚い小振りな神輿 蕨手を付けない簡素な神輿
 

担ぎ手は企業氏子の若手社員。08.09.18.
宮益御嶽神社は定日の例大祭、担ぎ手は掛け声の練習からの俄か仕込みの若手社員

見栄えもよい神輿渡御ポスター。08.09.18. 屋上に鎮座する御嶽神社社殿。08.09.18. 日本狼の狛犬。08.09.18. 狛犬と同じ口あけて阿。08.09.18.
ビルに挟まれた3階の屋上に鎮座 珍しい日本狼の狛犬 ブロンズ像で阿吽

宮益御嶽神社: 創建は不詳ですが、社伝では室町時代初期(1400)と伝えられています。 大和国吉野郡金峰神社の分祭社で、元亀年間(1570〜72)に甲府武田家の陪臣・ 石田勘解由茂昌という武士が所持していた尊像を神社に合祀している。

狛犬は全国的にも大変珍しい日本狼石像で、鎮座年暦などは不明ですが、 延宝年間(江戸時代1673〜1681年)の作品だと思われ修復し、社務所内に安置している。
現役狛犬は社殿復興に際し石像の原形をモデルに複製したブロンズ像です。
 

鳥居なければビルの入り口と思う階段。08.09.18. 境内でテント張っての発輿式。08.09.18.   宮益御嶽神社例大祭。
'08.09.18.(定日)宮出し14時〜夕刻
コンクリート造りの3階部分の屋上に、玉砂利を敷き詰めた境内は見事に整理整頓され、 ビルの谷間に在るとは感じません。
東京都渋谷区渋谷1-12-16。
宮益坂郵便局脇の石段上が社殿 雨天にてテント内の発輿式祭壇

狭い境内での宮出し。08.09.18. 鳳凰と八棟屋根と台座が時代を表す。08.09.18. 神輿が急な階段を降りていく。08.09.18.
式典のテント外して宮出し 古式の鳳凰と青銅葺き八棟屋根 鳥居を潜り宮益坂へと階段を降り

担ぎ手達は地元氏子企業の若手社員達です。 頭が神輿の担ぎ方、してはならぬこと、 そして掛け声の掛け方と手拍子を、発声練習でお祭り気分になります。  

小雨の中元気よく宮益坂を登る。08.09.18. 祭りモード全開で渋谷駅前ロータリーへ突入。08.09.18. 担ぎ手も慣れたのか差し上げです。08.09.18.
小雨の宮益坂を登り始める 渋谷駅前の明治通りに入り込む 賛同企業に神輿差し上げでお礼

大半が初参加の若手社員達への直前の特訓が効いたのか、小雨の中で小振りの宮神輿が踊り、 祭り囃子と掛け声と手拍子で、宮益坂と明治通りを渡御です。  

渋谷: むかし区内部まで海が入り込んでいた頃「藻塩焼く里」が「塩谷の里」に変わり、 「しほや」→「しぼや」」と訛って「しぶや」となった(新編武蔵風土記)。
宮益坂: 眺望がよく富士を見ることが出来たので富士見坂と呼ばれた。 御嶽権現、千代田稲荷(家康が江戸城別名千代田城を拡張した際に、渋谷宮益に移り、 千代田稲荷と改称した。関東大震災で現在の道玄坂2-20に移転) の門前町が出来、次第に繁昌してくると、 正徳三年(1713)に街並地となり江戸町奉行の支配地となった。
小商いと職人と飲み屋の明治の半ば過ぎまでは人家は両側に一列あるだけで、 初め渋谷新町といったが御嶽権現のご利益を得る事から宮益町と改称、坂道も宮益坂となった。
 

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