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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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根津神社神幸祭 平成20年9月 (隔年) |
神輿データ: 祭神:須佐之男命 台座:五尺三寸(160)建造年:正徳4年(1714) 製作者:不明
一之宮鳳輦巡行 吹き返しの無い延軒屋根 平屋台造り 徳川家宣奉納三基の内の一基 |
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黄衣に烏帽子に白鉢巻き装束で引く優美で雅やかな徳川家宣奉納の一之宮鳳輦 |
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巡行路に立つ根津神社の祭礼幟 |
厳かな黒赤の宮本町会ポスター |
楼門と巡行を待つ神幸祭行列 |
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根津神社神幸祭。
'08.09.21.(日曜) 宮出し8時半〜16時。
六代将軍家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳四年江戸全町より山車を出し、
俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行した。
同じ格式による山王祭、神田祭とあわせ江戸の三大祭と言われている。
現存する大神輿三基は、この時家宣が奉納したものである。
東京都文京区根津1-28-9 |
根津神社は日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、
文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
社殿は宝永2年五代将軍綱吉が兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、
氏神根津神社に現在地の屋敷地を献納し、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、
国の重要文化財に指定されている。
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本殿唐門前に鎮座する一之宮 |
祭礼式から唐門潜り発輿式へ |
唐門前での厳粛な発輿式 |
六代将軍家宣が奉納した3基の神輿は、江戸城へ入り上覧を得たりして、明治期以降も担がれたが、
戦争のため昭和11年(1936)を最後に担がれなくなった。神輿は戦火を免れて、
昭和47年(1962)に祭りが再開されると、2年毎の本祭で、3基を交互に台車にのせて渡御したが、
2006年の御遷座三百年大祭で70年ぶりに3基が連合で渡御した。 |
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楼門脇へ移動の一之宮 |
先導の猿田彦山車が神橋から |
杖籏を上下に振りウォ〜と唸る |
社紋籏・錦籏などを持つ参加者は、いずれも古式衣装をまとい、
神幸祭を先導するのは江戸型の古式の猿田彦のからくり山車。
70年ぶりに修理して遷宮300年祭に曳きだされ、今回が二度目です。
3高欄の3層で1層目が吹き抜けの囃子座、
2層目に雌雄の獅子頭を載せ、3層目に神社にゆかりがあるという猿田彦の人形が載る。
人形や枠は上下せず、体をそれぞれ左右に、
杖籏を上下に動かし、巡行中にウォ〜と唸る。 |
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楼門脇から神幸祭の最後尾に |
朱色鳥居を潜りいざ氏子区域へ |
細い参道をぬけ不忍通りを横断 |
近年の神輿に比べると屋根勾配が極端に浅く台座が大きい一之宮が、
台輪6尺・高さ約10尺もある大きい台車に載せられ、黄衣に烏帽子に白鉢巻き、
白の祭足袋を着けた担ぎ手達が、介添役の根津祭友会に守られて引かれていく。
神幸祭の順路の4区域をそれぞれ150人の区域の氏子達の供奉で引かれる。
神職は白馬に跨り、舞姫や総代は7台の人力車に分乗して巡行するのです。 |
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