歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 お江戸の三大祭りと呼ばれる優美で艶やかな根津神社の豪華絢爛な神幸祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    根津神社神幸祭 平成22年 9月 (2年毎 三基が交互渡御)

神輿データ:祭神: 大山咋神 台座:五尺三寸(160) 建造年度:正徳4年 製作者: 不明
 特記:二之宮:卍巴紋 吹き返しの無い延軒屋根 平屋台造り 徳川家宣奉納三基の内の一基
 

卍紋の二之宮の巡行。'10.09.19.
東京大学正門前から深緑の本郷弥生を背景に根津神社の神幸列が本駒込へ巡行

三座舞が入ったPOP。'10.09.19. どっしりした極彩色の楼門。'10.09.19. 朱塗り塗装完了の社殿。'10.09.19.   根津神社神幸祭
'10.09.19.(日曜)
   9時〜16時
二之宮神輿巡行
文京区根津1-28
透かし絵POP 極彩色の重厚な楼門 朱塗り塗装完了した社殿

今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、 文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。 五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より遷座した。
宝永三年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、 国の重要文化財に指定されている。 第六代将軍家宣は幕制をもって根津神社の祭礼を定め、正徳四年(1714)には、「天下祭」 と呼ばれた壮大な祭礼が催された。
 

先導する氏子総代。'10.09.19. 金棒は女性。'10.09.19. 黒獅子頭とブオー山車。'10.09.19.
神幸祭氏子総代と神職 鉄棒と騎乗神職 黒獅子頭とブオー山車

優美で優雅な豪華絢爛二之宮。'10.09.19. 威厳漂う二之宮。'10.09.19. 馬車に乗った殿の宮司。10.09.19.
二之宮の祭列が本郷弥生を巡行 後ろ姿も威厳漂う二之宮 祭列が本駒込へ巡行していく

神社造営記念の祭礼が、正徳四年(1714)9月22日に、いわゆる天下祭、宝永祭として行われた。 この時、六代将軍家宣が奉納した、一之宮 大鳥、祭神は須佐之男命。二之宮 卍巴紋葱花、祭神は大山咋神。 三之宮 葱花、祭神は誉田別命。 三基とも総漆塗り極彩色、台輪が5尺3寸(160)で豪華絢爛。 その神輿は全て現存しており、神幸祭では順繰りで一基のみ巡行。 遷座して300年になる平成18年(2006)は三基とも渡御した。  

六代将軍家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳四年(1714)江戸全町より山車を出し、 俗に天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行した。 同じ格式による山王祭、神田祭とあわせ江戸の三大祭と言われている。   豪華絢爛二之宮。'10.09.19.

根津の由来。 本郷台と上野山の間の峡谷を「根津谷」「藍染川渓谷」というが 「根」は山や岡、崖などの付け根、「津」は船着場をいう。 駒込の染井から流れ出た谷田川(谷戸川・藍染川)が流れており、かつてはその流路を石神井川が流れていた。 さらに昔は江戸湾の入海だったというから船着場があっただろうが、その根の津がどこかは特定できない。 根津が町名として用いられたのは根津権現の境内に町屋が許されてからで、最初の町は「根津社地門前」といった。 明治になって士宅地が開放されて根津を冠する町地は増えていったが、根津門前を賑わしていた根津遊郭は、 本郷に東京大学が移転してくることになって、明治20年を限りに閉鎖、江東区州崎新地へ完全移転した。  


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