西久保八幡神社は飯倉八幡宮とも称する。
寛弘年中(1004〜12)に、源頼信(多田満仲の三男)が、石清水八幡宮の神霊を請じて、
霞ヶ関のあたり(榎坂とも)に創建したという。太田道灌の長禄元年(1457)の江戸城築城に際し現在地に遷された。
徳川秀忠(徳川二代将軍)正室の崇源院(「江(ごう)」・「お江」・
浅井長政とお市の方の三女・家光の生母)は、慶長5年(1600)、
家康・秀忠の関ヶ原の戦での戦勝と安全を祈願し、その報賽として社殿建立の遺志を残しており、
家光(三代将軍)の寛永11年(1634)に社殿が造営された。
この八幡宮は江戸八所八幡宮(江戸時代の主要な八ヶ所の八幡神社)の一社。
その後火災や戦災で幾度となく焼失を繰り返した後、昭和28年(1963)に現在の社殿となった。 |
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