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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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西久保八幡神社 平成27年7月 (新宮神輿お披露目) |
神輿データ: 祭神:品陀和気命(応神天皇) 台座:4尺(121) 建造年度:平成27年 制作者: 六世宮惣(種谷吉雄氏)
特記: 延軒屋根、四面唐戸、唐戸下には波に鳩の彫刻、総漆、金箔押し、極彩色の彫刻、その他錺金具で飾られる |
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拝殿鳥居前の境内で八幡町会による復活した台座4尺の宮神輿の喜びの初担ぎです |
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西久保八幡神社 新宮神輿お披露目
'15.07.20.(祝日) 15時から。
戦災により焼失した御本社の神輿が70年を経て復興です。
復興の奉告祭並びに担ぎ初め式が境内で執り行われた。
東京都港区虎ノ門5-10 |
新神輿お披露目担ぎ |
参道の急石段 |
高台に建つ社殿 |
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西久保八幡神社は、源頼信の祈願により寛弘年中(1004〜1012)霞ヶ関に創建、太田道灌の江戸城築城に際して当地へ遷座、
関ヶ原の戦での戦勝と安全を祈願し、その報賽として寛永11年(1634)社殿が造営されたといいます。明治5年郷社に列格しました。 |
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70年振り新宮神輿への御魂遷しの手順を確認です |
宮司が宮神輿の四方向をきりぬさでのお祓い |
台座四尺 六世宮惣(種谷吉雄氏)製作。屋根四面は左三つ巴紋、露盤(大鳥下)の紋は徳川葵。
延軒屋根、総漆、金箔押し、極彩色の彫刻、その他錺金具で飾られる。
四面唐戸、その上の欄間には住所にちなみ虎の彫刻、その両脇には狛犬を配し
唐戸下には波に鳩の彫刻。唐戸横には龍の彫刻です。 |
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お膝元の八幡町会による復活宮神輿に肩を入れての初めての担ぎ出し |
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八幡町会が境内を一杯使い方向転換して戻ってくる宮神輿 |
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70年振り復活の宮神輿を息の合った二番手の琴平町会が喜びの担ぎです |
琴平町会にある金刀比羅宮は万治三年(1660)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、
その藩領内である象頭山に鎮座する金刀比羅宮(本宮)の御分霊を、
当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し延宝七年(1679)、京極高豊の代に現在の虎ノ門
(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座したのです。明治初期に金刀比羅宮=琴平と町名が付けられた。 |
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三番手桜川町会、その後に明舟、巴・広栄、虎ノ門・神谷町、仙石山、飯倉・我善坊・麻ノ葉町会と喜びの担ぎが続く |
芝区が赤坂区と麻布区が合併して港区となると、西久保地域も西久保の前に旧区名芝を冠称した。
昭和52年(1977)住居表示により西久保を冠する全町は虎ノ門となり、西久保の名は住所から姿を消した。
日常生活では最寄りの神谷町駅から旧西久保地域全体が神谷町と呼ばれることが多く、以降西久保の名は急速に忘れ去られた。
地域内の八幡神社を西久保八幡というが、西久保の名を留めるものはほとんど見当たらない。 |
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