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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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天沼八幡神社 平成23年 8月 (隔年) |
神輿データ: 祭神は応神天皇(誉田別命)
六町会で町会神輿を担いでいたが、平成21年(2009)に天盛会が神輿を神社に奉納し、
宮神輿として氏子町内を巡行することになった。 |
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暗雲がいきなり滝しぶきの様な豪雨で天沼八幡神輿は霞むが担ぎ手は怯まず |
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天沼八幡神社例大祭
日時 '11.08.26.(定日) 宮出し14時半 宮入 18時半
東京都杉並区天沼2-18
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神社掲示板のかわら版 |
俄かに暗雲立ち込め薄暗く |
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「新編武蔵野風土記」によれば、創建が天正年間(1573〜1591)と記されており、
天沼地帯は徳川家の社寺奉行の支配下にあったと思われ、
鎌倉の鶴岡八幡宮の御神体を勤請して神社を創建したと思われる。
相殿の祭神弁天様は安産の神様として崇敬されてます。境内末社に朱塗りの大鳥神社もあり、
毎年十一月には商売繁盛として「酉の市」がたち開運熊手守・福桝等を授与している。 |
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平成21年(2009)に天盛会から寄付され、例大祭には宮神輿として渡御する。
金色の唐破風屋根と鳳凰が輝く。祭神は応神天皇(誉田別命)。
宮神輿の渡御路は神社出発→天沼小学校→税務署→四面道→りそな銀行→教会通り(往復)
→青梅街道荻窪駅前→八幡通り商店街→天沼八幡神社)と一巡してくる。
宮出し15時(前回)と聞き及んで余裕もって訪問したが、曳き太鼓や宮神輿、氏子衆が居ない。
境内には夜店が電球を灯しているが、静かです。
天候不順もあり急遽予定よりも早く出立つしたのです。残念! |
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奉納された美形の宮神輿 |
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日大通りでいきなり大粒の豪雨 |
若杉小学校前の御神酒所へ急げ |
ずぶ濡れの氏子迎えの急準備 |
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覚悟を決めて豪雨の中を御神酒所出立つ |
豪雨止まぬ中を四面道交差点を目指す |
26日のゲリラ豪雨:
首都圏は26日午後から局地的な豪雨に見舞われ、ことし一番の局地的豪雨が首都圏を襲った。
練馬区では、観測史上最多の1時間に90mmの猛烈な雨となり、都心でも道路の冠水などの被害が出ている。
羽田空港トンネルの道路が冠水、8台が水没。空港は着陸できず他の飛行場へ。
新幹線は止まり、6,000世帯に避難勧告が出された所もあった。 |
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教会通りから雨降る青梅街道へ |
荻窪駅前を豪雨に負けじと |
やっと小雨のなか渡御は続く |
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関東は小田原北条氏が秀吉に滅ぼされ、家康がこの地に移封され、江戸を中心として、
関八州を支配下におく。
家康が江戸に入城してから、この辺りもやっと開拓の緒についたものと考えられます。
そして、この地の農民は自分達の団結と作物の豊作を祈念するための氏神の奉斉を考え、
徳川家が源氏の出 ということから、鎌倉の鶴岡八幡宮の御神体を勤請して神社を創建したもの。
八幡社は、古くから源氏の氏神として尊敬をあつめ、杉並区内にも八幡社が多く、
中には由緒深い神社もあります。 |
教会通り御神酒所 |
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青梅街道荻窪駅前を過ぎてやっと小雨になるが ずぶ濡れの担ぎ手達の熱気は冷めない |
天沼地名の由来 杉並天沼は「雨沼」で、雨が降ると水が増して流れ出たか、
または雨の後に湧水となる水溜りだったのだろう。
元々桃園川の水は細く、江戸時代に嘆願を重ねて千川上水からの養水を受けた。
用水跡や流路跡は現在も残っている。
天沼はかつては桃園川の水源で、3丁目23番の天沼弁天池公園の瓢箪型の池が水源で、
昭和40年代に全て暗渠化となり、神田川に合流している。 |
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