歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 平安絵巻のような御鳳輦渡御の「静」から、  「動」の宮神輿渡御は、正に江戸の華  亀戸天神社の渡御祭です
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    亀戸天神社渡御祭  平成28年8月 (4年毎)

神輿データ: 祭神: 菅原道真 台座: 3尺(90cm) 建造: 平成12年2月奉納  浅子周慶作。
    特徴 延軒屋根 異様に大きい大鳥。 野筋には彩色龍が這う。 台座厚く重圧感ある。

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亀戸天神社の宮神輿が両国3丁目の細い路地中を悠然と担がれてくる

tenjin-pop.jpg(10054 byte) tenjin-cyorin.jpg(9307 byte) tenjin-turi.jpg(10205 byte)   '16.08.28.(日曜)  宮出し 7:00〜 宮入り18:30
四年に一度の例大祭は祭紳の菅原道真の御霊を乗せ平安朝絵巻を再現した御鳳輦渡御祭(土曜日)と、 わっしょいと威勢の良い宮神輿の渡御は渡御祭(日曜日)。

亀戸天神社から錦糸町と両国を東西に流れる立川沿いの北南の氏子地区を宮神輿が一日かけて渡御をする。
  東京都江東区亀戸3丁目6番1号
神輿渡御祭POP 天神祭り提灯 両国から望む東京スカイは雨に煙る

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両国3丁目の昭和の居酒屋雰囲気を醸し出すアケボノヤ店舗前を威勢よく担ぐ

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京葉道路から両国3丁目の路地中に入り込み威勢の良い掛け声で渡御です

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両国は国技館の力士料理のちゃんこ巴潟店舗前を渡御

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両国2丁目のちゃんこ鍋の店舗が多く並ぶ路地なかを渡御

ちゃんこ鍋: 両国は国技館の大相撲であり鍋料理といえばちゃんこ鍋です。
大鍋に季節の野菜や魚、鶏肉などを入れて煮立て、つけ汁やポン酢で食べる
相撲部屋力士の鍋料理なのです。 「ちゃんこ」とは本来、相撲部屋において
力士 (ちゃんこ番)の作る手料理をすべて指すとか。
 

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両国2丁目で襷には珍しい表示の「柝頭」(ひょうしぎかしら=木頭)の木が入る

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JR両国駅西口の両国2丁目で交通止めしている路上で素早く車両に載せ転送です

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転送されてきた宮神輿を竪川(たてかわ)の一の橋から両国相生会の担ぎで早くも受け渡し場所へ

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引き受けて竪川二の橋を目指し和気あいあいと賑やかに担ぐ

竪川: 竪川(たてかわ)は、東京都墨田区及び江東区を流れる人工河川であり、 万治2年 (1659)に開削され旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河となり、 江戸城に向かって縦 (東西)に流れることからこの名称となった。
流域に「立川」という地名があるが、これは竪川に由来する。

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引き渡し場所の二の橋へと両国相生会の威勢良い担ぎです

tenjin-kaikouin.jpg(22640 byte)   両国回向院: 墨田区両国 2-8
日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていたが、
その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年 (1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまでは、
勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。

やがて天保四年(1833)より当院は春秋二回の興行の定場所となり、 明治四十二年(1909)の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、回向院相撲の時代が続いたのです。
 


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