歴史の浪漫街道  お江戸の神輿  御先梯い御太鼓が子供神輿と宮神輿そして山車を先導する大塚八幡神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    大塚八幡神社 平成23年 9月 (毎年)

神輿データ:祭神: 応神天皇 台座:三尺一寸(93cm) 建造年度:平成元年? 製作者: ****
  特記: 小野神社に次ぐ大太鼓 野猿街道沿い大塚の最照寺南側の高台に創建は慶長十二年
 

百日紅咲く野猿街道を並走車輛と渡御です。'11.09.04.
中央分離帯に百日紅が咲く野猿街道を車輛横目に悠然と渡御する大塚八幡神社神輿

氏子中の無人の神社防犯照明看板。'11.09.04. 鳥居脇に創建の領主名刻んだ石柱。'11.09.04.   大塚八幡神社例大祭
'11.09.04.(日曜)
  宮出し13時  宮入夕刻。
本格的な御先梯い太鼓、子供神輿、笛と拍子木で音頭とる宮神輿、単層唐破風の山車が連なって渡御する。
八王子市大塚518.
大塚八幡の照明看板は珍しい 神社創建の領主名刻んだ石柱

神社は慶長12年(1607)領主の浜田郷左衛門が大塚山上に創建。 ご神体は木造で立像の応神天皇が祀ってある。 大塚八幡神社の鳥居正面はホテル野猿で、 東京都遺跡地図によると高台の境内に古墳があったとされ、社殿の裏側は最照寺です。 また今では珍しい湯花神事が行われる。 年代不詳の古い3本足の五徳に鉄釜を乗せて湯を沸かし、神主が笹を湯につけ振ってお祓いをする神事です。  

大太鼓は平成3年(1991)に宮内庁から許可を得て造られた菊のご紋章入りの直径1.9の太鼓で、 今上天皇御大典を祝して金色に輝く16弁の菊の紋章が彫られている。
宮神輿の駐機には通常の馬でなく、角柱の直置きに近い馬を使用、何故なのかは聞き洩らした。
  御太鼓に十六菊紋。'11.09.04. 馬の代わりに角柱に駐機。'11.09.04.
十六菊紋が輝くの御太鼓 角柱馬の直置き宮神輿

見事な撥捌き御太鼓。'11.09.04. 笛と拍子木で音頭とる宮神輿。'11.09.04. 子供に曳かれながら獅子舞踊り。'11.09.04.
二本撥で叩く御先梯の御太鼓 警護班は駐機用の角柱を抱える 獅子舞披露しながらの殿の山車

宮神輿は台座三尺一寸(93cm)、祭神は応神天皇=誉田別尊(ほむたわけのみこと)。 本格的な御先梯い太鼓が平成3年建造で、その数年前の建造の宮神輿とか。 近年なのに何故か詳細不明の宮神輿です。  

堰場交差点で大きく方向転換。'11.09.04. モノレール高架駅下を賑やかに渡御。'11.09.04.
野猿街道から堰場交差点へ入り込む 多摩モノレール高架駅下を威勢よく渡御

堰場東のお神酒所出る時には、ポツリと雨です。 大塚・帝京大学駅で雨ですがモノレール駅高架下なので濡れずに渡御、 不思議や駅を通り過ぎれば雨止む、担ぎ手達は安堵の笑顔、祭神の御加護なのでしょうか。  

担ぎ手を鼓舞するのに掛け声で答える。'11.09.04.
多摩都市モノレール駅の高架下で担ぎ手を鼓舞する同好会の応援担ぎ手達

野猿街道の由来: 東京都多摩地域にある道路の通称で、 多摩ニュータウン北部及び八王子市東部の幹線道路で同街道上にある八王子市の野猿峠に由来する。 野猿峠は古くは猿丸峠と言い、旧由木村と八王子の中心部を結ぶ峠で、 休憩する馬や牛に水を飲ませる水飲み場があった。
戦国の武将で滝山城主だあった大石定久が峠に着具の甲を埋めて石碑を建て、秩父の武甲山にならって「甲山峠」と唱えたが、 いつしか甲を間違って申(さる)と書かれたりし始め、申山峠となり、更に江戸時代に入ると読みやすい猿の字があてられ、 猿山峠とか猿丸峠と言われる様になった。 現在の野猿峠と呼ばれる様になったのは昭和3年以降とか。誰がそう改称したのか定かでない。
 

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