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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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半田稲荷神社 平成24年4月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神: 倉稲魂命 台座:三尺(91) 建造年度:昭和5年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 延軒屋根・勾欄造りで都内では春一番目の渡御です。赤法被姿の願人坊主が有名 |
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満開の桜からのこぼれ陽を受けて久方ぶりに宮出しされる半田稲荷神社の宮神輿 |
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半田稲荷神社例大祭。 '12.04.08.(日曜) 発御式 8時から(狐面と願人坊主)
宮出し 8時半〜宮入16時半
神輿渡御は3年毎であるが、H22年とH23年(2011)が順延により本年渡御で、
きしくも創建1300年祭でもある。
葛飾区東金町4-28-22 |
創建1300年祭のPOP |
宮出し終え静寂に桜が包む社殿 |
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半田稲荷神社の創建は和銅四年(711)とも久年間(1113〜17)ともいわれるが、
延享4年(1747)の火災で記録が失われたため創建年代は不詳。 |
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発御式での祝詞奏上 |
白衣に狐面を被った2人の手踊り |
宮出し先導する願人坊主と御幣 |
早朝に厳かな発御式が行われ、参道の手水舎前で横笛が奏でられると、
白衣に狐面を被った男女が手踊りを舞いながら先頭にたち、
続いて願人坊主が鳥居を潜り、横笛の演奏が終わると同時に神輿が担ぎ上げられ宮出しです。 |
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頭の木で一気に担ぎあげ |
桜色に染まる参道をよいとで |
又木鳥居から威勢よく担ぎだす |
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東金町の居住地区の路地中を隈なく渡御する燻し銀の宮神輿 |
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各町会神酒所で神事を執り行う |
春うらら桜日和の和やか渡御 |
願人坊主が渡御列を先導する |
願人坊主については四壁庵茂蔦(天明から天保年間の俳人)の「わすれのこり」(社会風俗に関する随筆集)に「半田稲荷」と題し、
赤き布にて頭をつつみ、赤き行衣を着、葛西金町半田の稲荷大明神と書し赤き小さきのぼりを持ち、片手に鈴をならし、
葛西金町半田のいなり、疱瘡はしかもかるがるとかるがると云て来る。
子を持し家にて銭を遣れば、稲荷の真言を唱へ、
めでたき祝ひ言を云て踊る。一文人形といふ物一つ置てゆく。の記述ある。
また歌舞伎狂言「四季詠寄三大字」が中村座で上演され、坂東三津五郎の紛する願人坊主が人気を集め、
長唄「半田稲荷」の作曲や「柳樽」など古川柳にも詠まれた。 |
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長閑な春うららの中を祭りの葛西囃子と共にゆったりと担がれて来る宮神輿 |
葛西囃子は 250年ほど前の享保年間に、葛西神社の神主であった能勢環が神を敬う歌にあわせて考え出し、
村内の若者達に教えたのが始まりです。
鳴物は、しめ太鼓・太鼓・笛・鉦で編成し五人囃子とも言う。 |
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左手の頭部修復の白狐 |
境内社の白狐社と寛永元年建造狐 |
右手の耳を補修の白狐 |
金町の由来 正中二年(1325)の「関東下知状」に見え、往古この辺りの奥州古街道に面して町屋(商業地)があり、
「金町屋」と呼び「金町郷」と称した。「金」は「曲(かね)」であり蛇行する川の曲渕(瀬)をいう。
江戸川にちなむものと考えられる。
町屋があったのは江戸川に接する金町村字小金町だといわれ対岸の松戸とともに栄えた。 |
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