歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 鳶頭の木遣唄とあやめの菅笠被る役員が神輿を先導する千束稲荷神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    千束稲荷神社  平成24年5月 (隔年)

神輿データ: 祭神:倉稲魂命 台座:三尺三寸(100) 建造年度:昭和61年 
 製作者:特殊木型師・島田正治  特記: 平屋台造りですが台輪寸法より大きく見える神輿。
 

神社鳥居前から稲荷半纏の宮出し。'12.05.27.
淡い朝日を受けて神社前から猿田彦と鳶頭の木遣唄とあやめ菅笠を被った役員が宮出し先導

簡素なPOPは神幸祭。'12.05.27. マンション迫る社殿。'12.05.27.   千束稲荷神社
'12.05.27.(日曜)
  宮出し(鳥居下〜昭和通りまで) 8時〜8時40分
  町会渡御 8時40分〜12:20 (6町会)
  宮入17時半〜18時(国際通り〜鳥居下まで)
大祭年度によって神社からの渡御は左回りと右回りがあるようです。 (未確認ですが)
  東京都台東区竜泉2-19-3
大祭POP 背後にマンション迫る社殿

江戸時代四代将軍家綱の寛文年間(1661〜1673)の創設で、 浅草一円を千束郷と称しその千束郷に上下二社の稲荷社がつくられた。 千束稲荷神社は北千束郷の氏神で、寛永6年発行の地図に「チヅカイナリ」と記載されている。
明治5年(1872)太政官令により竜泉寺町一円の氏神となり現在にいたる。
 

鳥居前路上での出御祭。'12.05.27. 鳶頭木遣唄の唱和。'12.05.27. 揃いの稲荷半纏での宮出。'12.05.27.
鳥居前路上での出御祭 静かな神社前で木遣唄が響く 揃いの稲荷半纏での宮出し

境内が狭いため神輿は鳥居前の道路に悠然と鎮座して、出御式が行われる。 のしで包んだあやめ花の菅笠を被った役員と稲荷半纏姿の氏子が参加です。  

竜二町会へ神輿受渡。'12.05.27. 昭和通りを悠然と担がれてくる。'12.05.27. 竜泉町内へと入り込む。'12.05.27.
宮出しから竜二町会が引受け 昭和通りを威勢よく南下してくる 竜泉町内へと入り込む宮神輿

竜二町会に受け渡しが行われ昭和通りに出ると、神社旗、榊を持った神官、猿田彦命、木遣り、あやめ花菅笠を被った役員たち、 そして宮神輿、殿を馬上の宮司の順で神幸行列を組み進む。  

撥打つ五神太鼓に対峙して神輿揉み。'12.05.27. 一葉記念館で差し上げ。'12.05.27.
トラック檀上で豪快に撥打つ五神太鼓に対峙し激しく神輿揉み繰り返す 一葉記念館で差し上げご挨拶

対峙する五神太鼓での神輿揉みと差し上げ、 樋口一葉の「たけくらべ」で吉原や千束稲荷の祭礼が描かれたご縁で、一葉記念館では差し上げご挨拶です。  

まだだと神輿揉み続ける担ぎ手に木が入る。'12.05.27.
国際通り竜泉で町会引渡しのために神輿揉み繰り返し突き進んでくる宮神輿に気迫の木が入る

千束郷は正和四年(1315)の「北条随時奉書」にあるのが初出。 稲千束を収穫する稲田を寺領にすることを「千僧供」といい、由来は稲千束か千僧供による。
江戸時代は豊島郡峡田領千束村で浅草寺領。明暦の大火後に千束池が埋め立てられて、 明暦三年(1657)吉原(元吉原)の遊郭が引っ越してきた。 千束村は竜泉・三ノ輪・日本堤・南千住・清川・橋場・今戸・東浅草・浅草と広かった。
 


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