歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 氏子区域の細い路地中を大神輿と中神輿が連合して渡御する岩淵八雲神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    岩淵八雲神社 平成24年6月 (2年毎)

神輿データ: 祭神: 建束須佐之男命 台座:三尺八寸(115) 建造年度: 大正時代 製作者:不明
   特記: 金色の銅葺き延軒屋根・四方桟唐戸・平屋台造り 大神輿と中神輿の連合渡御
 

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境内の神楽殿前で渡御ご挨拶の神輿揉み繰り返しての中神輿と大神輿の宮出し

POPも黄金色。'12.06.03. 参道より一段高い境内。'12.06.03. 岩淵八雲神社の社殿。'12.06.03.   岩淵八雲神社
'12.06.03.(日曜)
  宮出し11時〜
  宮入17時
北区岩淵町22-21
兼務社は赤羽台
  赤羽八幡神社
黄金色のPOP 参道より一段高い境内 高い境内に静かに佇む社殿

八雲神社の創建年代は不詳です。江戸期には日光御成道岩淵宿の鎮守で別当正光寺(北区岩淵町32-11)、 明治期には村社に列格していました。境内には荒川流域の水害根絶を願っての水神社が祀られている。  

黄金色の宮神輿。'12.06.03. 巴黒紋と飾紐が独特。'12.06.03. 鳥居を潜り参道へ下り宮出しへ。'12.06.03.
巴黒紋の屋根と瓔珞が金色に輝く 露盤に取り付ける独特の飾紐 狭い鳥居を四天棒のまま宮出し

渡御当日は、細長い参道の両脇には処狭しと屋台が建ち並び、 終日「岡田民五郎社中」により里神楽が神楽殿にて奉納されている。  

人力車に乗った宮司。'12.06.03. 直角の辻を器用に曲がる。'12.06.03. 路地中を大・中神輿が渡御。'12.06.03.
御幣と人力車宮司が渡御を先導 住宅地の狭い辻を器用に曲がる 氏子役員と大・中神輿が続く

岩淵八雲神社の祭神は建束須佐之男命で宮神輿の屋根紋は黒右三つ巴紋、 大鳥が咥えるのは榊で、神輿鳥居にも榊が付く。
御幣と人力車の宮司が先導で、人力車は浅草の岡崎屋惣次郎が車夫だとか。 役員総代が続き、大神輿、中神輿が狭い路地中をホイッサホイッサと進む。
 

まだ担がせろと神輿揉み止めず。'12.06.03. 葭町のお神酒所で差し上げ。'12.06.03.
担ぎ手達まだマダと神輿揉みを続ける 葭町のお神酒所ご接待にお礼の差し上げ

お神酒所の葭町は荒川で採れた葦でよしず作りの産地だったのでしょう。なお神社境内には竹林がある。 神社近くの岩淵町26-9にある小山酒造は明治11年の創業で、 現在では23区でたった一つの酒蔵として江戸の地酒造りを続ける。  

渡御列が路地中を進んでくる。'12.06.03.
人力車の宮司が先導して渡御路の細い路地中を大神輿と中神輿が連合で渡御してくる

水神社は 八雲境内の末社で岩槻街道新荒川大橋際に鎮座していたが、、昭和10年に河川改修工事で八雲神社の境内に移転。
昔の荒川の往来は船で岩淵宿側の渡船場は、現在の新荒川大橋の少し上流に位置していました。 この水神社もその付近に鎮座していた様です。 この付近は古来より水害が多く、信仰上の自然的要求として、水神社を奉斉するようになったのでしょう。
  境内末社の水神社。'12.06.03.

岩淵地名の由来。 入間川(のち荒川)のほとりでゴツゴツとした岩場だったことから起きたとか。 鎌倉時代には岩淵宿として岩槻街道の宿場・渡し場として開けていた古い町で赤羽根村などを傘下においていた。 明治18年に鉄道が岩淵ではなく赤羽に敷設されたことにより、赤羽は交通の要所となった。 赤羽根村は昭和7年王子区成立により「根」の字を削除して赤羽町となる。  


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