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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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亀戸香取神社神幸大祭 平成24年8月 (4年毎) |
神輿データ: 祭神: 経津主神 台座:三尺九寸(117) 建造年度:明治11年(1879)
製作者:亀戸・錺師の矢澤 特記: 屋根と胴と鳥居が別々に揺れる別名こんにゃく神輿です。 |
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明治通り亀戸駅北口広場を宮神輿が悠然と神輿揉みを繰り返しながら旋回する |
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亀戸香取神社。 '12.08.05.(日曜)
宮出し6時〜 宮入17時 宮出し後は神幸起点の新大橋通り大島へとトラック移送。 江東区亀戸3-57
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神幸大祭POP |
宮入りを遅しと待つ社殿 |
還幸祭を待つ幻想的な本殿 |
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創設は天智天皇4年(665)、藤原鎌足が東国下向の際、この亀の島に船を寄せ、
香取大神を勧請し太刀一振を納めたのが創立の起因と伝承される。
天慶(938〜947)平将門が乱の時、追討使藤原秀郷はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願したところ、
乱を平定することができ、神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納し勝矢と命名。
この古事により源頼朝、徳川家康、塚原卜伝、千葉周作等の崇敬篤く武道修行の神として、
今も「勝矢祭」(5月5日)が継承されている。 |
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赤マスクの馬と騎乗神職 |
亀戸駅北口を悠然と旋回です |
強い西日受けながら神輿揉み |
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明治通りを威勢よく北進してきた |
引渡し場所の亀戸四丁目交差点を目指す |
羽織はかま菖蒲がさの氏子役員が先導、
マスク付けた馬に宮司が騎乗、車載の触れ太鼓、お囃子が続く。
煌びやかなこんにゃく神輿は新大橋通り大島駅を起点として明治通り西大島交差点を亀戸駅方向に進み、
蔵前橋通りの氏子地区の亀戸天神近くまで渡御して折り返し、大門勝運商店街から宮入です。 |
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明治通り亀戸二丁目から歓喜の雄叫びを上げながら蔵前通りを目指す熱気の担ぎ手達 |
宮神輿は明治11年(1878)に完成したもので、約5年の歳月をかけて製作されました。
一度担がれれば、屋根の部分と胴体の部分と台座の部分とがそれぞれ別の動きをすることから、
俗称で「こんにゃく神輿」と言われ、
現在国内に2基 (1基は九州) しか存在しない、珍しく貴重な神輿なのです。 |
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参道鳥居前で差し上げ宮入ご挨拶 |
参道の香取大門勝運商店街を渡御 |
香取大門勝運商店街。江東区で最も古い歴史を持つ勝運商店街 (名は勝矢祭に因む)。
元々は香取神社の境内だったという参道に明治の頃から発展してきました。
参道に位置する全長200メートル弱のコンパクトな商店街です。 |
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夕暮迫る香取大門勝運商店街を一時間遅れで宮入のため社殿目指す宮神輿 |
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神輿庫に鎮座する古色蒼然とした古神輿。
右側には宮神輿のこんにゃく神輿が鎮座する。 |
社殿前へ一時間遅れの宮入です |
神輿庫の江戸古神輿 |
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香取大門勝運商店街。江東区で最も古い歴史を持つ商店街です。
元々は香取神社の境内だったという参道に明治の頃から発展してきました。
参道に位置する全長200メートル弱のコンパクトな商店街で戦後たくましく復興して、
昭和30年代は亀戸の台所として青果店、精肉店、鮮魚店の生鮮三品が充実していたが、
環境の激変で大苦戦。レトロ商店街再生へとリニューアルした。 |
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