歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 三年振り神幸祭は小雨が宮神輿を濡らすが神の御加護か午後は一転晴天
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    深川神明宮神幸祭  平成24年8月 (3年毎)

神輿データ:祭神: 天照大御神 台座:四尺(120) 建造年度:昭和9年 製作者:行徳・後藤直光
 特記: 段葺き延軒屋根・平屋台造り 神明鳥居 白木の胴の大神輿。 町会神輿は水掛祭り。
 

雲行き怪しきなか新大橋一丁目を渡御。'12.08.18.
三年毎の神幸祭に弱雨が祭礼行列にポツリと落ちだし宮神輿の段葺き延軒黒屋根を濡らす

神明宮POP。'12.08.18. 境内と参道の神輿庫。'12.08.18. 軒下が長い社殿。'12.08.18.   深川神明宮神幸祭
'12.08.18.(土曜)
鳥居前8時〜12時
 八名川・千歳地区
鳥居前13時〜17時
 高森地区
日曜は連合渡御
江東区森下1-3
神幸祭POP 参道の十二基の町会神輿庫 深川発祥の地の神明宮社殿

約四百年前の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もなく、 深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手した。 その後八郎右衛門は屋敷に小さな祠を建て伊勢神宮の大神を祀った。これが深川神明宮の起源です。 そして深川の地の発展とともに、八郎右衛門の屋敷の小さな祠も、 いつしか深川総鎮守神明宮と称せられるようになった。  

人面の猿田彦。'12.08.18. 傘持たず雨に戸惑う祭礼行列。'12.08.18. 鳶頭は深川の粋。'12.08.18.
神幸祭列を先導する人面猿田彦 祭礼行列に降り出した大粒の雨 深川の粋な三番組とび職

神幸祭行列は、 辻払い先導神職 大幟 お囃子車 社名旗・太鼓 三番組とび職 麻黄袴花笠着用総代  宮神輿 騎乗宮司 賽銭箱 鳳聯車 後衛神職。 例大祭期間中の土曜日に行うのが恒例で12ヶ町を町内渡しで渡御する。
町会連合渡御(勢揃い)では派手な水掛けですが、本社神輿には水を掛けない。
 

宮神輿を騎乗宮司が見守る。'12.08.18.
騎乗宮司が見守る宮神輿を小雨にもめげずワッショイの掛け声で常盤一丁目を渡御

芭蕉記念館前。'12.08.18. 雨でお神酒所も提灯灯す。'12.08.18.
芭蕉記念館前を威勢よくワッショイわっしょい 常盤一丁目お神酒所でお祓い後の担ぎ

深川神明宮のご本社神輿(宮神輿)は、昭和九年九月、千葉県行徳の神輿師・後藤直光の謹作。漆塗りの段葺き屋根も美しい、 台座四尺四方の大神輿です。
何時も情報頂く酔狂さんの取材では、鉄釘留めなので水掛けは厳禁なのです。
 

雨にも負けず威勢よくわっしょい。'12.08.18.
本降りになった雨の中をお神酒所前で引き受けた常盤二丁目の担ぎ

渡御図にない突然の方向転換。'12.08.18. 本降りの中を神明宮目指す。'12.08.18.
ご挨拶のため方向転換して路地中へ入り込む 本降りのなか還御祭の神明宮鳥居を目指す

神明宮では午前の部と午後の部の出御祭と還御祭を、神社鳥居前の路上にて執り行われるのです。 今回の午前の部の還御祭は本降りの雨の神事です。
がその後は、アッと言う間に青空が広がり、午後の神幸祭は深川の夏祭り!。

三年に一度の本祭りの神幸祭で、宮神輿と行列最後尾に附く車乗の鳳輦です。
昔は鳳輦を台車に載せて12ヶ町を巡行したのでしょう。
  頭より太い担ぎ棒。'12.08.18. 車上の優美な鳳輦。'12.08.18.
宮神輿の図太い担ぎ棒 宮神輿とともに戦禍免れた鳳輦

深川地名の由来: 深川八郎右衛門が開拓したので、開拓者名を地名とした。
森下地名の由来: 町名は鬱蒼たる樹林を擁した徳川四天王の一つ酒井左衛門尉家下屋敷があり、 その南側の辺りを「森の下」と俗称していたことによる。
木村屋総本店のあんぱん、中村屋のクリームパン、カトレア(旧名花堂)のカレーパンを、3大発明パンと称し、 昭和2年に発明されたそのカレーパン発祥の地が森下なのです。
 


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