歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 近隣の多くの担ぎ手の応援を得て炎天下を渡御する武蔵新田氷川神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    武蔵新田氷川神社 平成24年8月 (隔年)

神輿データ: 祭神: 素盞鳴命 台座:二尺三寸(70) 建造年度: 昭和28年
   製作者:浅草・宮本重義  特記: 唐破風軒屋根・勾欄造り 蕨手には龍が絡む
 

新田神社の東風睦会の支援で宮出し。'12.08.26.
本殿前から担ぎ短い境内参道を神輿揉みしながら一直線に鳥居を潜り宮出しです

豪華なPOP。'12.08.26. 氷川神社本殿。'12.08.26. 鎮座する葦簀張りでの神事。'12.08.26.   武蔵新田氷川神社
'12.08.26.(日曜)
宮出し8:00〜
  宮入17:00
東京都大田区
  矢口一丁目27番
武蔵新田POP 境内隅奥に建つ本殿 葦簀張り内での渡御神事

境内で8時からの神事に続き氏子役員祭礼役員一同の記念写真の撮影終了後の午前8時30分に出御です。 町会は矢口北町会、中町会、南町会の3町会ですが渡御路は広いので、 兼務社の新田神社の神輿会の東風睦会が全面協力です。13時からの昼食場所も新田神社境内です。  なお武蔵新田(むさしにった)氷川神社は昭和20年4月の空襲で社殿や由緒全てを焼失し詳細は不明です。  

本殿前から鳥居へ。'12.08.26. 軽四に乗ったお囃子。'12.08.26. 神社脇からまず北進です。'12.08.26.
短い参道を威勢よく鳥居目指す 賑やかに囃子奏でる大森はやし会 今は気合十分の渡御の始まり

宮神輿の渡御は給水車が道案内役を兼ねて先頭で、 お囃子の大森はやし会と大人が担ぐ神社小神輿が宮神輿を先導します。 早朝なのかギャラリー少なし。  

強い日差しで担ぎ手を鼓舞する指揮者。'12.08.26. 駅前近しと担ぎ手張りきる。'12.08.26.
陽射し強くハンドマイクで必死に担ぎ手を鼓舞 武蔵新田駅西口前を威勢よく渡御

武蔵新田駅東口で喜びが炸裂。'12.08.26.
灼熱の太陽の下で早くも二度目の休息所手前の武蔵新田駅東口での熱気の担ぎ

環八通りを横断していざ中町会へ。'12.08.26. 用水路跡の樹木残る静かな住宅街に掛け声響く。'12.08.26.
環八通りを横断して中町会へと渡御 中町会の住宅街に掛け声が響き渡る

六郷用水南堀の苗代作りの引き水季節の時だけ、本流から分流させる用水路の臨時の堰で、 この辺は竹田橋の堰と呼ばれていた名残の樹木が点在する。  

応援を得て気合だす炎天下での担ぎ。'12.08.26.
第二京浜(国道一号線)目指し周辺同好会の多くの応援を得ての炎天下での担ぎです

武蔵新田(むさしにった)の由来  東急多摩川線(旧目蒲線)の武蔵新田駅は大正12年(1923)の開業で、 新田は、駅近くの新田神社(南北朝時代の武将、新田義貞の次男の新田義興を祀る)に由来する。 新田義興は延文3年(1358)鎌倉公方足利基氏の執事であった畠山国清に謀られて、 武蔵国矢口渡で壮絶なる最後を遂げた。  


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