歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 亀戸天神社の例大祭は4年毎の鳳輦渡御であるが宮神輿が2回目の渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    亀戸天神社  平成24年8月 (4年毎)

神輿データ: 祭神: 菅原道真 台座: 3尺(90cm) 建造: 平成12年2月奉納 浅子周慶作。
    特徴 延軒屋根 異様に大きい大鳥。野筋には彩色龍が這う。台座厚く重圧感ある。
 

駐輿祭終えて午後の部の担ぎ出し。'12.08.26.
強い逆光の日差し受け金色に輝く宮神輿を立川3丁目町会が午後の部を威勢よく担ぎ出す

天神祭提灯。'12.08.26. 神輿渡御POP。'12.08.26. 豪華な町会POP。'12.08.26. 参拝者絶えない本殿。'12.08.26.   亀戸天神社大祭
'12.08.26.(日曜)
宮出し 7時〜
  宮入 19時
東京都江東区
 亀戸3丁目6番
天神祭提灯 神輿渡御POP 豪華町会POP 亀戸天神社の本殿

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官が、 村に元々あった小さなほこらにご神像をお祀りた。 そして寛文二年(1662)10月に天満宮を勧請して太宰府の社にならい、社殿や回廊、心字池や太鼓橋などを建造して、 創建されたもので、徳川時代から「亀戸の五尺藤」の名所として庶民に親しまれてきました。  

亀戸天神社の例大祭は4年毎の土曜の鳳輦巡行と日曜の町内神輿の連合渡御でしたが、 飾神輿の代わりに、平成12年2月神輿を氏子中の崇敬者が奉納、翌年に駒札掲げ宮神輿となる。
平成15年8月に戦後初めてのお披露目渡御が行われた。 今回鎮座350年祭を記念して氏子中25町会を二度目の渡御です。
台座は3尺4分(90.0cm)、台座の高さは分厚く1尺9分(33.cm)。
浅子周慶作。異様に大きい大鳥。野筋には彩色龍が這う。
  重厚な宮神輿。'12.08.26.

触れ太鼓。'12.08.26. 先導する猿田彦と馬乗神職。'12.08.26. 拍子木で音頭取り。'12.08.26.
町会旗と触れ太鼓が先導 猿田彦と社旗と馬乗神職 御幣と拍子木で神輿を鼓舞

亀戸地区の一角に鎮座しているが、氏子区域の大半は隣接する本所地区にある。 これは亀戸が本所の延長のように扱われてきた歴史的経緯によるもので、 本所はその大半を牛嶋神社が氏子区域に取り込んでいるが、 総武線の南側と新大橋通り挟まれた地区の各町会は大部分が亀戸天神の氏子になっている。  

誇らしげに町会旗を掲げて担ぐ。'12.08.26. 歓喜の雄叫び。'12.08.26.
町会旗を掲げて町会立川三丁目の担ぎ 炎天下でも担げる歓喜の雄叫び

炎天下に菊川2丁目の気合の担ぎ。'12.08.26.
菊川2丁目町会が掛け声も勇ましく新大橋通り目指し南下してくる

最後尾から騎乗神官が見守る。'12.08.26. 菊川3丁目が新大橋三ツ目通で引受け。'12.08.26.
騎乗神官が見守り菊川二丁目を渡御 新大橋三ツ目通りから威勢よく引受け

三ツ目通り名称は、竪川(たてかわ・人工河川で江戸城に向かって縦(東西)に流れることからの名称) に架けられた三之橋の別名「三ツ目橋」に由来する。
なお墨田区両国付近に囲碁の名家の家元があり、 道路が碁盤の目のように縦と横まっすぐ格子状に造成され一ッ目から五ッ目と呼ばれていたことによる。
 

並走車輛に負けじと新大橋通りを担ぐ。'12.08.26.
強烈な日差しのなか渋滞する新大橋通りを菊川3丁目町会が並走する車輛に負けじと担ぐ

亀戸地名の由来: 亀戸は昔小さな島からなっており、初め亀島または亀津島とも呼ばれ、 島の形が亀に似ているところから名付けられた。 現在、亀戸周辺には北に向島・牛島・南に大島、西に柳島など島にちなんだ地名が多く、 その昔、葦の海辺が次第に堆積して島となり、 村落を形成して漁村となり、これらの島々も四辺陸続きとなり、 亀島は亀村と称され耕地へと遷り変わり現地名となった。  


yahoo!japan 登録サイトのHPです。