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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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赤羽八幡神社 平成24年9月 (2年毎) |
神輿データ: 祭神: 品陀和気命 台座:三尺三寸(100) 建造年度:明治中期 製作者: 不明
特記: 延軒屋根 平屋台造り 均整とれた古神輿です 赤羽駅西口と東口で連合渡御 |
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粋なカンカン帽の氏子役員が宮神輿と小神輿を先導して三和自治会お神酒所からの渡御 |
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赤羽八幡神社 12.09.16.(日曜) 宮出し8時〜 宮入 19時
赤羽西口と東口で町会と連合渡御 北区赤羽台4-1 |
御祭礼POP |
清楚な三和自治会神酒所 |
賑やか駅前西口お神酒所 |
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八幡神社は平安時代の桓武天皇の延暦3年(784)、坂上田村麻呂の東夷征伐の折り、
この地に陣を張り八幡三神を勧請したと言い伝えられている。
坂上田村麻呂は平安時代の武官であり、副将軍として東征し、
後に征夷大将軍となって延暦20年(801)に敵対する蝦夷(えみし)を討った。 |
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大小共に馬が低い/手前は小神輿 |
八幡の祭礼渡御列の騎乗宮司 |
人力車に乗った禰宜 |
取材は赤羽三和自治会館から赤羽駅西口までの区間です。
御幣を先頭に?見損じたか何所にも見当たらない。露払いの錫杖、ふれ太鼓、馬上の宮司、人力車の禰宜、
粋な羽織袴姿のカンカン帽の役員、そして赤羽の印半纏の担ぎ手に担がれた宮神輿が続く。 |
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住宅街を大小の宮神輿の連合渡御 |
神輿が傾きながらも路地中を渡御 |
静かな住宅街ですが、坂を登った八幡神社の丘は子連れママ鉄のメッカとか。
境内からは東北・上越新幹線、山形新幹線、秋田新幹線がトンネルを出入りする様子が真近で見れ、
そして埼京線、りんかい線、京浜東北線、宇都宮線、高崎線、湘南新宿ラインの車輛が観れるのです。 |
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本行徳浅子周慶で修復された明治時代の平屋台造りの古神輿の渡御です |
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赤羽の町会神輿との連合渡御の列が出来つつ |
赤羽駅西口で町会神輿が後方に続々と附く |
恒例の赤羽駅西口での連合渡御 (一区宮元と五区)は、午前11時頃の予定です。
また、赤羽駅東口での連合渡御 (二区、三区、四区)は午後1時半頃よりの予定で、駅北口構内に入り込むとか。
そして最大の見所の56段の神社表参道階段を上っての宮入は、
急な石段を、「 六根清浄 」を唱えながら登りつめ、境内社殿前で激しく神輿揉みをするとか。 |
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赤羽の地名の由来: 太古、厚く積もった関東ローム層の台地に秩父からの荒川の流れがぶつかり氾濫し、
やがてその水が引いて出来た土地が赤羽。水が丘の裾を削ったためにローム層を縦割りにした崖が多くある。
その壁面に赤土を意味する赤埴 (あかはに)が地名の語源ではないかと一般的にいわれている。
埴 (はに)の字は赤い粘質の火山灰沃土を指して、土器の製造に使われる。
明治以前の文書には「赤羽」もあるが「赤羽根」のほうが多く、
当時の鉄道駅名は偶然だろうがすべて二文字だったので、揃えるつもりで赤羽としたのだとか。 |
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