歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 氏子衆がゆったりと和やかにお祭りを楽しむ宝町八幡神社の神輿渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    宝町八幡神社例大祭 平成24年9月 (順延・3年毎)

神輿データ: 祭神: 譽田別尊  台座:三尺七寸(112) 建造年度:江戸後期 製作者: 不明
  特記: 浅い勾配の延軒屋根 幅広台座 平屋台造りの古神輿 境内の千本公孫樹が有名
 

胴に晒巻いた古神輿が一部休息所からゆったり担ぎ渡御。'12.09.16.
平屋台の古神輿をお囃子屋台と馬簾が先導するが宮総代達もまだ現役だと気合いれ同行

宝町八幡POP。'12.09.16. 古風な鳳凰を載せた延軒屋根の平屋台造り神輿。'12.09.16. お祭りモードの八幡囃子連。'12.09.16.   宝町八幡神社
'12.09.16.(日曜)
  宮出し9時
  宮入15時半

3年毎の渡御だが昨年の順延で実施
葛飾区宝町2-9-3
宝町八幡POP 古色蒼然とした江戸末期の神輿 祭り醸し出す八幡囃子連

八幡神社は旧宝木塚(ほうきづか)村の鎮守で西光寺持(別当寺)でした。 宝木塚という地名は応永5年(1398)の「葛西御厨注文」にも永禄二年(1559)の「小田原分限帳」にも見えず、 江戸時代初期の「正保改定図」に初めて村名として記載され、神社もそのころ勧請されたのであろう。 社殿は昭和5年の造営である。  

曳舟川緑道沿いを渡御。'12.09.16. 賑やかにお花茶屋駅前へ。'12.09.16.
駒札の宝木塚が曳舟川緑道沿いを渡御 一部休息所からお花茶屋駅前へと曲がり

今回は宝町2丁目バス停の1部休息所あら一部神酒所までの取材です。
車輛のお囃子連が先導で、屋台お囃子、珍しい馬簾、神職、御幣、宮神輿と祭礼隊列です。 お神酒所は町名でなく1部〜6部の表示(自治町会名でもある)。
 

気心知れた者同おし和やか渡御です。'12.09.16.
周辺の同好会の応援得て曳舟川緑道沿いからお花茶屋駅前へと賑やかに渡御してくる

曳舟川の親水公園と緑地帯は約3KM、舟を綱でひっぱた川なので名が付いた。  

気合入るお花茶屋商店街へ。'12.09.16. ここぞと神輿揉み繰り返す。'12.09.16.
お花茶屋商店街へ悠然と入り込み渡御 一部お神酒所で威勢よく神輿揉み繰り返す

江戸時代、曳舟川は鷹狩りの名所として知られていました。 そこへ狩りにやってきた八代将軍・徳川吉宗が、突然の腹痛に見舞われ近くにある茶屋のひとつに助けを求めたのでした。 そこで手厚く看護したのが茶屋の娘、その名を「お花」といったとか…。 気だての良いお花に感心した吉宗は茶屋の名前を「お花茶屋」にするよう命じたというのが「お花茶屋」の由来とされています。  

高揚した熱気の担ぎ手に木。'12.09.16.
一部お神酒所前でまだまだ担がせろと熱気の担ぎ手に木頭の休息の木が入る

明治までの宝木塚村であったが、 昭和36年(1961)の住居表示変更で「宝木塚」の「宝」を残して宝町となった。 おもちゃメーカー・タカラの発祥の地である。
その宝木塚(ほうきづか)の由来は、元仁2年(1224)に親鸞が西光寺(宝町2丁目)を訪れた際、 境内の松の木に法衣を掛け「法喜塚」と名づけたという説と、 同じく西光寺にある葛西伯耆守の墓(伯耆塚=ほうきつか)によるという説がある。
現在では葛飾区立宝木塚小学校にその名をとどめている。
 


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