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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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武蔵御嶽神社 日の出祭 平成20年5月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 櫛眞智命 旧本社神輿 台座:四尺(120) 建造年度:元禄13年 (1701)
製作者: 不明 徳川綱吉が奉納の吹返しない黒屋根の古神輿 平成17年複製は三尺(90cm) |
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日の出祭に稚児と鎧武者の募集 |
標高929Mの御岳山頂の御嶽神社 |
春霞みの中に長閑な麓が揺らぐ |
武蔵御嶽神社: 標高929mの御岳山頂に創建された関東随一の霊場。
紀元前90年、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられる。
山岳信仰の興隆とともに鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、厄除け・延命・長寿・
子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えた。
参道には今も30もの宿坊が立ち並び、入り口の随神門から250段の石段を登ると、
徳川幕府によって造営された権現造りの拝殿・幣殿と神明造りの本殿がある。 |
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関東随一の霊場へは、ケーブルカーが関東一の平均勾配22度の沿線を一気に上り、
麓の滝本駅からわずか6分で標高831mの御岳山駅へ観光客や参拝者を大自然の中へと誘うのです。 |
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宝物殿に鎮座の元禄古神輿 |
茅葺き宿坊の東馬場 |
樹齢700年の御岳神代欅 |
徳川綱吉が奉納の吹返しない黒屋根の古神輿は台座四尺の元禄13年建造の旧本社神輿。
万治2年(1659)以前から続く馬場家御師宅(おし・御嶽神社の神職)の慶応2年(1866)に建造
(有形文化財)された宿坊や、
日本武尊東征の昔から生い茂っていたと社伝に記載されている樹齢およそ700年の御岳神代欅
(天然記念物)など、
御岳山頂は古からの美しい日本の風土を今に伝える歴史の宝庫なのです。
武蔵御嶽神社。東京都青梅市御岳山176番地。 |
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発輿式典へ行列が下りて来る |
御魂入れ終えて式典の御岳平へ |
古神輿に替わる平成の宮神輿 |
例大祭: 08.05.08. (毎年定日)
ケーブルカー御岳山駅前の御岳平で9時半に清々しい空の下で厳かに執り行なわれる発輿式です。 |
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山伏たちの入峰の儀式がその発祥とされ、かつて旧暦2月8日の日の出とともに行われたことが、
祭りの名の由来とされ、毎年5月8日に斎行されています。中世より続く歴史ある祭りで、
神職・白丁・鎧武者も雄々しく神輿を警護し・氏子・参列者の大行列が御岳平から御師集落を通り、
約300段の石段を神輿とともに登ります。大変勇壮で盛大な祭りです。
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神輿が御岳平から山頂へ出立 |
際列の先頭を猿田彦と法螺が |
続いて雅楽が鳥居を潜り参道に |
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白丁が獅子頭を担いで参道を |
鎧武者が神輿の前後を警護する |
平成神輿が白丁に担がれ渡御 |
太古から伝承されてきた古式に則った元禄古御輿に替わり平成神輿を囲む鎧武者と雅楽など歴史絵巻のような行列が、
奏される法螺貝や雅楽の優雅な調べが山々の緑深い森の中へ流れる中で、
御岳平から鳥居を潜り宿坊の集落を通り銅鳥居下まで一時間かけて祭礼行列が練り歩きます。 |
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難関の銅鳥居から隋神門への石段 |
隋神門から社殿への急な参道 |
社殿前の参道最後の急激な石段 |
徳川綱吉公奉納の御輿に替わり平成神輿が、
銅鳥居からの300段の急激な石段を隋神門を経て境内まで15分で一気に駆け上がります。
神輿担ぎ手達は浅草三社の長島氏の担ぎ手15〜20名です。
新しい平成神輿の建造時に神社側の担ぎ手の応援依頼に粋に応えたのです。
担ぎ手達は宿坊の原島荘に逗留しての担ぎなのです。 |
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社宝も加わり祭礼行列が続く |
旧本殿前を鎧武者が神輿を先導 |
使命果たしたと満足の笑顔 |
関東随一の霊場の祭礼は、
まるで歴史絵巻のように雄壮な祭礼行列が神輿を囲み、境内を3周練り歩き渡御は終了です。 |
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御魂還しの儀が12時過ぎに始まりました。発輿式では多くのハイカー達が観ていましたが、
山頂神社での祭礼には参拝者のみでの、厳かな日の出祭の最後の行事です。 |
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神輿を幕で囲って御魂遷し |
武蔵御嶽神社へ御魂がお帰り |
徳川綱吉公奉納の元禄旧本社神輿は宝物殿に飾られているが、祭礼期間は休館中ではあったが、
ご無理いってのガラス越し撮影です。この場を借りてご配慮に感謝致します。
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