|
|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! |
|
|
|
|
下谷神社 例大祭 平成20年5月 (隔年) |
神輿データ: 祭神:大年神・日本武尊 台座:4尺1寸(124) 建造年度:大正15年 (1926)
製作者:行徳・後藤直光 大鳳凰を載せた急勾配の延軒屋根と勾欄造りの大神輿。 |
|
|
|
|
下町で一番早い夏祭りとされている「下谷神社大祭」は、千年以上の歴史を持ち、
本社神輿の渡御がある本祭では、千貫神輿と呼ばれている本社神輿が、
氏子29ヶ町の若衆延べ6千人によって早朝の6時15分より夕方18時半まで担がれ、氏子区域を練り歩く。
例大祭: 08.05.11.(日曜)
東京都台東区東上野3丁目29−8。 |
下谷神社大鳥居 |
境内稲荷社前の大看板 |
|
|
下谷神社は、人皇第45代聖武天皇の奈良時代の天平2年('730)に峡田の稲置らが、
大年神と日本武尊の御神徳を崇め奉って下谷稲荷神社と称し上野忍ヶ岡の地にこの二神を,
お祀したのが創めであると伝えられている。
昭和3年の土地区画整理により改めて社地を現在の所に定める。
神社は寛政10年(1798)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で、
境内には「寄席発祥の地」の石碑が建立されている。 |
|
|
|
|
|
下谷神社大祭 |
写真入りポスタ |
東上野二丁目の青竹お神酒所 |
ねじらない鉢巻と宮元印半纏 |
|
|
|
仲御徒町氏子達の渡御 |
縦横の電線上げも大車輪 |
仲御徒町一丁目お神酒所へ |
仲御徒町町会の渡御。
仲御徒町一丁目お神酒所前に差し掛かると、担ぎ手達も一層掛け声と魂振りが盛り上がります。 |
|
|
|
|
上野御徒町ガード脇の電線上げ |
ガード脇をじわりと大神輿が進む |
我慢の神輿揉みと魂振り再開 |
御徒町駅から上野駅のガード下脇の商店街は神輿を通すのがやっとの道幅で、
渡御で行う魂振りも神輿揉みもぐっと我慢の神輿担ぎです。 |
|
|
|
|
ずれ出し広小路口6車線を横滑り |
怒涛のごとく上野駅横断歩道へ |
必死の舵取りでマルイシティ側へ |
|
|
引き渡し場所でも神輿揉み続く |
熱気と興奮の担ぎ手に指揮者から此処まで!の大声 |
御徒町駅から上野駅までのガード脇下での我慢の神輿担ぎが、
6車線の広小路口に出ると、一気に激しい魂振りと神輿揉みが行われる。
神輿揉みで千貫神輿が左右にブレ上野駅横断歩道に乗り上げる勢いです。
渡御介添役も制御に必死ですが、それ以上に氏子若衆の担ぎ手達の祭り情熱が爆発なのです。 |
|
|
|
|
東上野二丁目の町会渡御 |
引渡し場所へ千貫神輿が進む |
熱気の担ぎ手に木が入る |
|
|
遅れ取り戻せと即発進の東上野三丁目町会の渡御 |
宮入に合わせと駆け足の渡御 |
定刻の宮入時刻に遅れを取り戻せと、
東上野の各氏子町会は宮神輿の引渡しと引き受け所作は素早い。
神社例大祭の仕来たり守れとの行動に感服です。 |
|
|
|
宮元の宮入道中が参道鳥居前に |
浅草通り鳥居参道の照明が一斉に燈され半時間遅れ千貫神輿の宮入 |
浅草通りの下谷神社大鳥居前の観衆が見守る幻想的な暗闇の参道の中へと
千貫神輿が灯りに燈された本殿へ大観衆の拍手喝采に迎えられて宮入です。 |
|
|