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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 日本各地の神輿 |
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稲毛神社 川崎山王祭り 玉(女)神輿 平成26年08月 (毎年) |
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堀之内お神酒所前で玉神輿に休息の木を入れる指揮者を押しのける程の勢い |
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川崎稲毛神社 川崎山王祭り 孔雀・玉神輿渡御 '14.08.03.(日曜)
宮出し6時半〜 宮入20時
川崎市川崎区 宮本町7-7。 |
川崎山王祭りPOP |
参道の大幟 |
宮神輿の宮入を静かに待つ社殿 |
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稲毛神社は古くは武神・武甕槌神((たけみかつちのみや)を祀る川崎の古社で、
「神幸祭」では、「孔雀」 「玉」と呼ばれる宮神輿二基が、丸一日かけて23の氏子町会を巡る。
その巡幸路は「男女神の結婚」「御子神の出産」などという物語が隠されている。
現在の御祭神は 素戔嗚尊 稲田姫命 八柱御子神(やはしらのみこがみ)です。 |
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孔雀神輿の後から旭町一丁目休息所を出立して六郷橋高架下を曲がる玉神輿 |
玉神輿 行徳関ヶ島 後藤直光作 昭和22年建造。 台座三尺(91cm)。
縦棒と横棒共に白木丸棒で徑18cm。 掛け声は孔雀神輿と共に「エイサーエイサー」 |
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玉の神輿がエイサーエイサーと堀之内神酒所前へ |
激しく左右に神輿振りを繰り返し川崎歓楽街を渡御 |
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玉の神輿は荒れ神輿と言われるのは懐妊した女神の陣痛を表現しているとか |
江戸時代の元和9年(1623)に東海道川崎宿が設置された。
川崎宿では旅籠は72軒あり、飯盛女(私娼)を置いていた飯売り旅籠が33軒あった。
川崎堀之内、南町は遊郭としての歴史からソープランドの多い風俗街である。
平成25年現在、南町に20件、堀之内には55件の店舗があり、関東では吉原に次ぐ、ソープランドの店舗数を誇っている。 |
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玉神輿が休息の堀之内町会お神酒所へ |
稲毛神社例大祭の堀之内町会神事 |
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ご挨拶するために宮本町会お神酒所へ |
玉神輿を宮本町お神酒所にジワリと向ける |
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宮本町会お神酒所での激しいしゃがみこみ神輿揉みでご挨拶 |
孔雀神輿(男)と玉神輿(女)は毎回順路を交互に替えて渡御しますが、
昔から「玉の神輿は荒れ神輿」といって、玉神輿は担ぎ方が荒くケガ人も多かったようです。
「女神の方がたたりが強い」と言われるが、「懐妊した女神の陣痛」を表現しているとか。 |
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奉賛者宅前でお礼のしゃがみこむ神輿揉み |
威勢よく一気に差し上げ・・息が合わず |
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砂子一丁目の奉賛者宅に担ぎ手達が踏ん張って差し上げてお礼のご挨拶 |
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ラ・チッタデッラのイタリア風モール街を通り過ぎて次ぎの休息所の小川町神酒所を目指す |
「孔雀」と「玉」の大御輿は、午後に山王社御旅所「姥が森弁財天」に詣でます。
姥が森弁財天は明治末に近くの「新田神社(御祭神、新田義貞)」の境内に移され、
町名も「鋼管通り」と変更されたが、地元の人々は「姥が森町内会」と名を残し、町内会館のとなりに今も弁天様を祀り、
御手洗池の跡と伝える井戸を守っています。
その井戸から汲んだ御神水を大御輿にふりかけます。
これをしないと、神様が怒って御輿が無事におさまらないというのです。現代も伝統と伝承を守り続けています。 |
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