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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 日本各地の神輿 |
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水海道祇園祭 八幡神社(八坂神社合祀) 平成27年7月 (毎年) |
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水神宮手前の橋本町そば勝店舗前で当番町会の渕頭町獅子とすれ違う本社神輿 |
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水海道祇園祭
'15.07.18.(土曜)12時 神社宮出し
'15.07.19.(日曜)12時 当番町出立
水海道八幡神社 (八坂神社を合祀)
水海道祇園祭は常総市の水海道森下町にあった八坂神社の例大祭で、
その八坂神社が(旧牛頭天王社)が大正4年に八幡神社に合祀された。
常総市水海道橋本町3329 |
水海道祇園祭のPOP |
八幡神社の社殿に鼓胴注連縄 |
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八幡神社は延宝5年(1677)御城城址より現在地に遷座されたが、創立はなお古く天正5年(1577)以前だとか。
小田原後北条氏との戦いで地元多賀谷の軍勢とともに戦った田村弾正左衛門守の守護神として祀られた。
御祭神は誉田別命(応神天皇)です。
城主が滅亡してから荒廃したが、江戸時代初期の延宝5年(1677)に現在の社殿が造営され、明治時代には大修復、
大正4年(1915)に水海道森下町の八坂社(旧は牛頭天王社)等が合祀され、
建速須佐之男命が御祭神として祀られ祗園祭が執り行われてる。 |
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本殿から幕で遮りながら神輿へと御魂遷し |
渡御出来る様に方向転換させての祝詞奏上 |
宮神輿は安政4年(1857)の建造です。台座は4尺(122cm)掛け声はワッショイ!
祇園祭り初日は八幡神社宮出しから、水海道第二高、鷲神社、宝町を渡御。
中日は当番町御仮屋から天神社、栄町、当番町御仮屋へと渡御です。 |
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定刻通りに社殿参道前の大鳥居下から手拍子に鼓舞されて威勢よく宮出し |
水海道では古くから当番町という慣行があります。
十一ヶ町の内ふるくからの市街にある七ヶ町は輪番で一年間の「当番町」にあたります。
本社神輿、雄雌獅子、四神圏、宝剣、太鼓の神具等を順々に担当します。 |
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八幡神社通りから最初の休息所の御城公園(橋本町お神酒所)へと渡御 |
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御城公園内の橋本町お神酒所へとワッショイ!わっしょい |
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御城城址公園の橋本町会お神酒所へ入り込む |
休息後賑やかに水海道第二高校目指し渡御 |
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水神宮手前の橋本町そば勝店舗前で当番町会の渕頭町獅子とすれ違う本社神輿 |
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諏訪神社交差点での神輿揉みで気合入れて氏子地区最南端の鷲神社へと渡御していく |
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当番町栄町仲睦担当する神社太鼓 |
宝町の町会大型山車 |
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水海道市の中心部を鬼怒川、小貝川の両川が流れ、かつては水運によって栄えた商業の街です。
大理石造りの荘厳な銀行は、東京の報徳銀行の水海道支店として大正12年(1923)建築された。
また明治29年(1896)に設立された唯一の地元銀行の水海道銀行は、大正12年に常磐銀行に吸収合併されたが、
昭和初期の金融恐慌で破産し、昭和4年に水海道町が買い取り町営の銀行として存続した。
水海道に二行があったのです。水海道の商人達の気概が感じられます。 |
大正時代の腰高な重厚な建物 |
正面玄関 |
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八幡神社は戦国時代(1493〜1591年)に、水海道城主の田村弾正が守護神として祀ったのが始まりで、
現在の水海道橋本町字御城あたりに居城を構えていました。
創祀は豊前宇佐宮 (大分県・宇佐神宮)から御神霊を直接分祀したといわれており、
関東近隣の八幡神社や八幡宮は、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請した例が多数で、
八幡総本宮である宇佐神宮からの直接分祀は稀な例といわれています。 |
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